もの凄い書いておきたい事が山積みなのですが、それは手帳でもなく、日記帳でもなく、このブログだったりする。
前へ前へと日々進んでいるから、一度書いたものを読み返す事などあまりないけれど、それは手帳や日記帳だって同じこと。だったら、こういう公共の場に記しておいて、誰かの必要な時のお役に立てたらなあ〜と思う。
その確率や、かなり低いのだろうけど、個は全体でもあるのだという事が私の中にあるので、共有出来る限りのものは惜しみなく共有していきたいなあと思う。
初夢、見ましたか?
私は大体いつも、初夢って覚えていません。
3日の朝だったか、民宿所みたいな、合宿所みたいな所の部屋にいて、その窓から外を見たら、もうすぐ側に水辺があって、それは海なのか湖なのか分からないけれど、とても澄んでいるのが分かった。
私の部屋は、何故か開放的な部屋で人が行き来していて、私の部屋を通ってみずに入っていった人の体が、全部透き通って見えたので水の透明度が分かったのだった。驚いて、外に出ると、美しい水が広がっていて、綺麗な苔のような水草のようなものが、ふわふわと密集していて、その上を感触を確かめながら裸足で歩いた・・・というような夢だった。
と、思えば、5日の朝は、もの凄い怖い夢を見た。
私は、古い一軒家のような所にいて、友人やその他の人も数人いて、あるうす気味の悪い人物(見かけは普通なんだけど、ゾンビとしか言いようのない気持ち悪い雰囲気がある人)が殺しにくると予告しているにも関わらず、そこから逃げようとせず、恐怖を感じていた。
どこかで、これは夢だと分かっているからかもしれないけれど、何故逃げないんでしょうね。(笑)
家の片隅で、唯一の男性一人と、もう一人の女性と肩を寄せあって、怖い夜を過ごしていた。この男性が頼りだ・・・!と、すがるような思いだったのに、ふと、「あ、あれをとりにいってこないと」なんて呑気な様子で、なんと夜の窓から上の階(?)に、にょ〜っと行ってしまわれた。
そこからが、怖かった。そのゾンビ男が、「明日の朝、行くからな」みたいな感じで、窓の向こうから一瞬現われて、こちらを凝視しているのが、ぞっとした。
そして、朝。予告通りに現われた男に、恐怖は頂点に。夢だから、銃なんて持っていたらひとたまりもない・・・と思っていたら、ちゃんと銃を持っていて、それはライフル銃のようなもので、乱射し始めた。
そこには、友人など沢山いた筈なのに、そんな時、その人たちの盾になる精神的な余裕や肉体的な反射神経など私にはなかった。「逃げないと!」とだけは叫んだと思うけど、みんな固まってしまって動けないでいるのが、不思議だった。
私は、ガラスのドアから外に飛び出したのだけど、後に続く人がいない。「何故?」と思って、ちょっと中を覗くと、そのゾンビが銃を乱射していた。何故皆逃げないのだろう・・・・と恐怖心の中で思っていたら、目が覚めた。
こうやって、文章にすると、なんとも間抜けな話の流れなんだけど、殺されるかもしれないって言う恐怖とはこんなに恐ろしいものなんだって言うのだけはリアルに感じた。
あまりにも、怖い感覚だけが残っているので(特に、あのゾンビのような男の存在感が気持ち悪かった)、いい夢を見直そうと思って、すぐに寝ました。
その辺のフットワークは、私は抜群なんだなあ・・・(笑)
だって、その後怖くて眠れなくなってしまったら、一日あの恐怖を引きずる事になるからね。おかげ様で、次に目覚めた時には、その恐怖心は消えていた。
この夢を見た時に、ああ、これは精神的なものや肉体的なものが作用していたんだろうなあ〜と思った。
『骨盤にきく』の片山洋次郎先生が、生理について書いていたものが、まさにそうだなあと実感できたという意味では、とても興味深かった!
骨盤から見る生理とは、生理が始まる4日前から右側の骨盤がゆるみ始めて、左側がゆるみはじめると生理が始まるそうだ。
生理4日めが一番骨盤がゆるんだ状態になるって言うのが、ごく自然な変化だそうですが、こういう骨盤がゆるむ、縮むといったことに負荷がかかってうまく行かないと、生理痛などの症状があらわれる。それだけじゃなくって、月経前症候群といわれるものもあらわれる。
骨盤が自然に緩んだり縮んだりする事って、とても大事で、本来は、それに逆らう事なく生活するのが一番いいのだろ思う。それがよく分かるのが、生理の時の体の変化なのかなあ〜と思うのだけど、骨盤がゆるんでいく生理の4日めまでの間に無理をしてしまうと、骨盤はゆるみきれない。特に、4日めは、緩みきって縮み始めると言う変化の時だから、実は一番ゆっくりとリラックスしていたい時期。
でも、4日めこそ、無理をしてしまう人が多いのではないでしょうか?
例えば、生理痛のあった人も、4日めは楽になっている筈だし、出血も少なくなってくる頃だし。
ゆるみきった骨盤は、自然と縮んでいくけれど、ゆるみきらない骨盤は、縮みにくくなるそうです。それはどういう事かと言うと、骨盤の緊張状態が続く事になるということで、それによって、生理不順だけでなくて、色々な体の不調に影響してくるというわけだ。
身体って・・・神秘ですよね。肺が呼吸しているみたいに、お尻だってそうやって呼吸しているのだ。
そのことに、気づいていってあげる事が、忙しい現代人にはとても必要な事だなあと思う。
薬でごまかしている体は、いつか必ずくじいてしまう時が来るのだろう。
だけど、そういう時こそ、身体を調整して立て直すまたとない機会なんですよね。
それは、身体だけに関わらず、人生でもそうなんじゃないでしょうか。
不調なとき、不安な時こそ、じっくりと自分を見つめられるチャンスで、ついていないわ!と、自暴自棄にならないで、ちょっと客観視するくらい突き放して、自分の事を見つめてみると・・・それは忍耐も必要となってくるけれど・・・案外、楽しめるものです。
自分の身体、心、持っているものこそが、最大の実験現場なのだと思う。ここに、自分の人生に必要な宝物がわんさか詰まっているのだ。見つけようと思えば、いくらだって見つけられるのだろう。
無駄な時間など、一秒たりともないのだ。
というのは、最近特に思う事だ。
それは、忙しいこの東京で、あまりにも時間の無駄をしない事に、疑問を感じて思った事だ。
「いかに、時間の無駄をなくす」ということが、いい事だと思い過ぎているのじゃないかしら?と思う。
無駄に思える時間を楽しめなくなったら、この世の中は本当に、イライラする事だらけのつまらない世界に見えるのじゃないだろうか。
それに、「あれは、無駄な時間だった」と、嘆いている時間、いらついている時間の方が無駄なんじゃないかしら?と思う。更に言えば、そういう嘆く時間があったからこそ、そういう時間がいかに無駄だったと思えるわけだから、その時間も無駄ではないのだ。
物事の、底辺にぶつかった時、そこにいかに光を見いだしていけるかということが、人生の醍醐味であると思っています。
それは、逃避とは違うのだ。だけど、ある時期、逃避したっていいのだと思う。
その人にとって、もっと言えば、その人の身体にとって、そうした方がより世界に大きく開いて行けるのだろうから。
人の身体が、ひとりひとり違うということは、その人の哲学もひとりひとり違ってくるのだ。治療方法は、人の数だけあるのだろう。そういうことを、それぞれが真剣に、のびのびと哲学していけば、もっと世界は豊かになるだろうと思う。
哲学や身体は人の数だけあって違うのだけれど、共通している大切な事は、ごくシンプルな事なのだと思う。
矛盾に聞こえるだろうか?
でも、このシンプルな事と複雑な部分の矛盾を、「どうしてそうなんだろう??」と、疑問を持って、自分自身、時には人間同士、自然とだって、ぶつかりあっていく事が、生きる喜びなんじゃないななあと思う。
疑問を持たない人生なんて、つまらないだろうなあと思う。
だって、疑問も何にもないのならば、もう人間に生まれてくる必要などないだろうから。疑問を持つことがない人は、きっとそれにぶち当たるまで、何度でも生まれかわってくるのだろうと思う。
疑問を持つこと、そこまでだって、長い長い旅路なのかもしれないなあと、最近はよく思う。
あかちゃんから大人になるまでの、身体や意識の変化は、魂の縮図でもあって、どんなに立派な大人に見える人だって、魂からしてみたら、あかちゃんの場合だってあるのだろう。
だから、年齢を越えた、他人への敬意というのは忘れてはいけないなあと思うし、そう思えば、イライラする出来事にも、優しくなれるのではないでしょうか?
自分の方が、多く気がついていると思った時、親があかちゃんを無条件で愛するように、その人のことを包み込んでしまえばいい。
敵と思える人こそ、自分にとって最良の宝なのだろう。
一番、イライラする原因に対峙した時に、リラックスできたなら・・・身体が自然にゆるみ縮む事が出来たなら・・・きっと世界はぐっと大きく自由に広がっていくだろうと思う。
これは、多くの人にとって、とても難しい事だろうけれど、人生には、その気になれば、無数に越えるべき面白い壁が沢山あるんだろうなあと思う。
誤解してほしくないのは、無理矢理、イライラする原因を作る必要があるのではなくて、そういうものと対峙するしかない場面に直面した時に、どうやってそれとつき合っていくかということだ。
そういった事に、うまく、気がついていけるようになると、心がのびのびと呼吸をしているのが分かるようになると同時に、身体の豊かな変化が実感できるようになると思う。
そういう喜びは、何にも変えられない、気持ちのいい体験じゃないでしょうか。
私は、あらゆる壁にぶち当たって、とても辛い別れがいくつかあって、色々な哀しみとも直面して来たけれど、もう何も光が見えなくなった事もあったけど、今は、とても光に包まれていると実感している。難題は、生きている限り、消える事はないだろうけれど、どんな時も、光を見失わないでいこうと思う。
最悪の事が起きている瞬間だって、これこそ、最良の経験だわ!って思えるようになりたいと思う。
人生って、やっぱり素晴らしいなあって思うから。
この、地球に生まれて来る事が出来て、本当に良かったと思う。
昨年までの間に、あらゆる、素晴らしい本との出会いがあった。今まで出会ってきたものとも、より深く出会えたと実感している。
心のことを突き詰めていくと、もちろん、行動することが重要になってくるわけで、そういうことを考えていくうちに、自然と身体への色々なアプローチについて知らない事、足りない事が沢山あるなあと感じてくるわけで、そんな時に素晴らしいものとの出会いがあった。
ヨガは、その中でも素晴しいのだけれど、とりわけ昨年感動したのは、他者との関わりという点を考えていた時に出会ったハワイのロミロミと、片山先生の本だろうなあと思う。
こうやって私が日々考えたりしている事は、岡本太郎という言葉で全て説明がついてしまうのだけど、それだけ、彼が岡本太郎として生きた生涯は、尊いなあと思う。
そして、常に思うのが、尊いものは、尊ぶだけでは駄目だと言う事だ。
小さきものは、小さきものなりに、今この瞬間を精一杯楽しむ事が、面白がっていくだけだ。
生命の神秘は、きらめきは、いつだって望めば近づいてきてくれる。
だってね、もともと持っているものなんだから。
さて、恐い夢の話に話を戻すと・・・
何しろ、このお正月、生理一日めから、睡眠時間もままならず、身体を酷使した。でも、精神的にはとても楽しい3日間だったけれど、問題の4日目にあたる時、仕事に戻ると言う憂鬱と思ってしまうようなストレスがあった。それが、大きく身体に作用したんだろうなあと思う。
からだが緩む時期は、テンションが下がる時期。そういう時に、テンションがあがるような事があると、バランスを崩しちゃうんですね。実は、自分でもビックリするくらい鬱っぽい気持ちになった。
でも、そんな時程、「へえ〜、なんでだろう?」と、辛いなあと思いつつも、片山先生の本を開いて自分の身体を観察したら、なるほどなあ〜、骨盤が緩む時期にそうとう頑張り過ぎたせいだなあと思った。
だから、とても面白い経験だった。本当に、4日目って重要なんだなあって。
身体の事を知れば、闇雲に悩まなくてすむ。思わず無理をしちゃって、心身共に辛いなあと感じて、倒れそうになったって、ああ、そういうことだったのかって思えるだけでも、リラックスへの糸口になるものだ。
気がつく事で、ふっといい気がまわって、思いがけず楽しい時間が過ごせたりするもの。
この東京という街は、簡単に、間違った方向へシフトしがちな街だと思う。
強烈に魅力的なエネルギーに満ちているからこそ、強烈に人々のエネルギーが集まっているからこそ、流されていては、あっという間に自分を見失ってしまうのだろう。
どうか、「KY」とか、つまんない事言っていないで、自分を読んでいってほしいものです。
自分を知る事は、他を知る事だと思うんです。
他ばかり気にしていたら、一向に自分の中の宝物に気がつけません。
自分の中に宝物を見つけようとしない人は、いくら空気を読んだって、成長できないと、私は思います。
空気を読めなくたって、いいと言ってしまうけれど、きっと社会生活はそれじゃあうまく行けない事もあるでしょう。哀しいくらいに、空気を読めるようになっているなあと感じたら、読んだ上で、それを打ち破っていくくらいじゃないと、人生は閉じてしまうと思う。
人生は、かってに生きるという意味ではなくて、真に自由でなくてはいけない。そのために、そういった窮屈な社会や「KY」のようなくだらない価値観があるのだろう。
多くの制約の中でこそ、自由に生きていこう。
難しいね。
でも、難しいことも、越えていけば、とても簡単に思えるものだろう。
まずは、大きな夢を見る前に、他人をどうこう言う前に、自分を越える事から始めなければいけないのだ。
精神はともかく、身体は、正直だから。
シンプルに見つめたいならば、まずは身体と向き合ってみたらいいと思う。
愛する人の、不調なとき、お腹に触ってみたりするだけで、色々な事がぐっと聞こえてくるかもしれません。
または、自分の身体を優しく触って、耳を傾ければ、簡単に駄目な所が見えて、笑っちゃうくらいシンプルでなかなか変えられない自分の芯に出会って、感動するでしょう。
大切なことは、治すことじゃなくて、とことんそんな自分を受け入れて、つき合っていく事、愛する人を始めとして、他者をありのままに受け入れ、つき合っていく事。
そして、そこにあるのは、愛と感謝の心じゃないでしょうか。
今、この瞬間、おこっている事は、どんなに酷い事だって、
私にとって、あなたにとって、最善であるという事に、
「ありがとう!」と言える日々でありますように!!
飛躍したいならば、その種を生み出すのは、
それは、私の、あなたの、内側にある。
それは、作り出さなければ、一向に芽が開かないという事を、
忘れないで、生きていこう。
無駄と思える時間こそ、にっこり見つめよう。
Aloha
love,
Ryoco
追記:
そんな怖い夢を見た日、思いがけず、クミちゃんとあつむ君に会い、新年の乾杯をして、楽しい時間が過ごせた。
代々木公園近くにあるLIFEでフルボトルワインサービス券があったのだけど、ワインが好きな人の顔が浮かんでこなかったので、声をかけてみたら駆けつけてくれたのだった。
フットワークが軽いって素晴らしいな〜って感動!自転車で行き来できるって素敵だ〜
前菜も、ピザもパスタもおいしくって、デザートもおいしかったし・・・大満足でした。
そして、なによりも楽しかった〜
とっても大好きなお二人さん、今年も、よろしくお願いいたします!
おいしい林檎もありがとう!
↑動物たちが、海の中で泳いでいるみたいにしか見えなかた・・・