←これは、コルトレーンの「MEDITATIONS」ですが。
今夜は、少しメディテーション(瞑想)について、少しお話ししてみようかな。
日本は、寺院の多さから考えても、お正月の参拝客の多さを見ても、断然仏教な国なのだと思います。
だけど、お正月に初詣をしたり、厄年には御祈祷をしてもらったりするのに、瞑想をしている人は圧倒的に少ないと思います。
最近では、精神世界や癒しブームとかもあったので、心や身体から様々なアプローチがされています。ヨガのブームもそのひとつでしょう。そのヨガがきっかけで、瞑想を初めて行った人って少なくないんじゃないでしょうか。私もそのひとりですが。
チベット仏教では、智慧と方便、両方がとても大切と説いています。空性について理解する「智慧」だけでは十分ではなく、「方便」が大切だと説いています。
瞑想をすることは、その「方便」に含まれていて、それはとても大切な事だそうです。
瞑想には、本当に色々な方法があるようで、仏陀が様々なレベルの人にあった智慧を説かれたように、瞑想の種類にも色々なレベルがあるようです。
ヨガ教室のリザ先生が、『yoga beauty Vol.3』という本についているDVDで紹介している、仏陀の“愛と優しさの瞑想”というのは、とても理解しやすくて、すぐにでも実践出来る素晴らしい瞑想です。
まず、自分にポジティブなエネルギーと愛を送り、次には愛する人にそれを送る。その次は、苦手な人にも同じものを送るというように、段階を踏んで瞑想を行うことで、自分は他に依ってもたらされていることに気がつき、それに感謝出来るようになる。
こういう瞑想を続けると、他人への尊敬の念が生まれて、無条件でどんな人でも愛せるようになる・・・簡単に説明すると、そんな感じの瞑想です。
きっと、この瞑想を毎日少しの時間続けるだけでも、心にバランスが生まれて、いい状態になるんじゃないかなあと思います。
瞑想って、日常にとって実はとても必要不可欠なものなんじゃないかなって、最近心から思うようになりました。何故、瞑想は一般的に日常に組み込まれてこなかったのかな〜?宗教的な印象が強かったからなのかな。
とても、残念なことだなあって思うけど、ヨガブームとかで少しでも瞑想が浸透して行くことは、いい傾向じゃないかなあと思います。
本当はヨガだけに留まらず、同じ仏教の流れを取り入れるならば、チベット仏教のような、仏教の全ての教えを網羅して受け継いでいる、素晴らしい教えが、ブームと言わずに生活の一部分として浸透して行ったら素晴らしいなって思うけど。
そうそう。よく、妄想する人は多いけど、妄想と瞑想は明らかに違います。
このリザ先生が教えてくれている仏陀の“愛と優しさの瞑想”とちょっと似ているもので、菩提心のためにとても大切な、「こころの訓練」のための瞑想、“トンレン(与えて引き受ける)の瞑想”というものがあります。
これは、自分のポジティブなエネルギーを他人に与え、その人が抱えている苦しみや困難や悪い心などの負のエネルギーを引き受けるというものです。
これは、呼吸とともに行います。息を吐くときは、他人に自分のポジティブなエネルギーが注がれるのを観想して、息を吸うときにはその人の負のエネルギーを一緒に吸い込むと観想します。
この瞑想は、究極なところから始めると観想しやすいと言います。例えば、ソマリアで苦しんでいる子供たち。それから、どんどん身近な人々に目を向け観想してもいいでしょうね。それから、嫌いな人とか苦手な人へと徐々に対象を変えて行くのもいいでしょう。
そうして行くことで世界中の人々の苦を引き受け、平等に他の幸せを願える心を養えるのではないでしょうか。
菩提心について勉強しながら自分の中で色々と考えたりしているのですが、時々自分の弱さに出会い困ってしまう事があります。
私は確かに、何が一番幸せかと質問されたら、愛する人たちの幸せだと答えます。そして、その愛する人とは、生きとし生けるもの全てだとも思っている。
だけど、そういった菩提心を育てて行き、謙虚な心が育って行くと、私は共に生きる特定のパートナーを得る機会を失うんじゃないだろうかって、突然に孤独な気持ちになったりもします。矛盾していますよね。
私はきっとまだまだ、精進が足りないのでしょうし、欲を捨てられないでいるのでしょうね。
生きとし生けるものの幸せが、私の幸せで願いならば、特定の愛する人が側にいてくれなくって寂しいなんて思うはずがないでしょうからね。
そうこう心配したって、やっぱり全ては縁だし因果の法則があるので、仕方ない事なのですが。
縁がなければ、何も生まれない。諍いもおこらないし、喜びも生まれない。
仏教では、美しく生まれてくることや、富を得ることは、単純に前世の善行から来ているのだと言われています。ならば、例えば私のように特に美貌に恵まれ
ているわけでもなく、特にもてるわけでもなく、どちらかというとお金もないという場合は、前世での善行が足りなかったのでしょう。(笑)まあ、それだけで
なく、きっと私は何か罪をおかしたのかもしれないなあと思ったりする事もありますが。
こういう事を、悲観的に受けとってしまうと悲劇になりますすが、そこは「あ、そういう事なのか!」って、単純に受け止め、楽観的に捉えるべきなんだと思います。
だって、生まれてきたことだけでも、よい行いの結果なのだというし、それだけの要素では成し得ない、とても希で尊い事なのだそうだから。
持って生まれた、恵まれているとか恵まれないと思える宿命なんて、本当にただそれだけのことなのでしょう。でも、人はそういう部分に執着しがちですよね。容姿や財産や環境などの宿命に対して、劣等感を抱いたり、憎しみを抱いたり、挙げ句の果てには人のせいにしたり。
楽観的に受け入れて、そうであるなら、これから沢山いいことをしなきゃな!っていう気持ちを起こせばいいだけの話なのです。でも、案外とそれが難しいものなのでしょうね。
そういう縁や因果の法則を理解して行くと、とても楽になれるんじゃないかなって思うんですがどうでしょう?
例えばもし、私がこの先ずっと、特定の愛する誰かに愛されなかったとしても、それは縁がなかったのねって楽観的に受け入れるべきなのでしょう。もちろん、やるだけのことはやってから、という前提があっての話だけど!
逆に、自分の成長に、特定のパートナーが必要である場合は、きっとそれは縁として強く働いて、嫌だって何だってそういう方向へ進んで行くのかもしれませ
ん。どちらがより幸せかというものさしは何処にも存在していなくって、どちらにしても、本人の心次第で豊かになるかそうでないかが決まってくるのだと思い
ます。
せっかくだから、子供と老人の間にあるこの短くて尊い多くを感じ学べる時間に、精一杯、幸せに向けて、心を成長させていけたらいいですね。
・・・なんて、ちょっと難しい話になっちゃいましたね。
人は、色々な経験やそれによってもたらされた感情に直面したとき、それとどう向き合って行くかって言う道を探しますよね。そういう過程で、私はこういう事を考えるに至っているのだと思います。
変な人だと言われたらそれまでですし、それはそれで全くいいのですが(笑)、色々と上手くいかない事が多くあったり、自分の様々な苦しい感情だったり孤
独と向き合って来れている事は、時には長いトンネルを彷徨っているようで辛い時もあるけれど、そのおかげで、色々な状況の人の感情が理解出来るようになっ
たのだろうなあって、感謝をしてるんです。
長い目で見たら、そういう負と思える出来事が、物事を深く観察する動機になって行ったのだと、心から感謝できています。これは、幸せな事だなあって思うんです。
だから、自分で経験して感じてきた事で、少しでも誰かの役に立てる事は、どんどんオープンにして行きたいなあと常に思っていて、それがこのブログを始めるときに考えていた事でもあります。
(逆に、全く必要ない事ならば、放置してくれればいいというだけのお話なのです。)
もし、負な気持ちから抜け出せないと感じていて、何となくメディテーションが自分にとっても役に立つんじゃないかなって感じているならば、是非、短い時間でいいから実行されてみるといいんじゃないかなって思います。
きっと、バランスを取り戻す助けになる筈です。
そして、負な気持ちを感じている人だけでなく、できればすべての人がメディテーションを行うことが習慣になればいいなあと思います。
苦しみなどの気持ちから思いやりを生むことは出来るかも知れないけど、慢心からは決して生まれないと思うから。
大きな目で見て、思いやりの心を持てない人は、必ず何処かでそのしわ寄せがくるそうですし、本当にそうなのだろうと思います。
その慢心に気がつき、慢心をなくして行くのにもメディテーションはとても有効で、他人の幸せを願い、その心に慣れ親しんで行くことは、自分の幸せにも繋がっていくのだと思います。
だから、そんな風にすべての人の幸せを考えて行くと、出来ればすべての人にメディテーションをすすめたいなあという気持ちが起こるのです。
メディテーションというのは、思いやりの心を育むのにとても役に立つ。
それは、なにも特別な事じゃないと思うから。
「愛してる」
その思いだけでは足りなくて
足りないなら
いったい、わたしには何が出来るのだろう?
その愛を
深い底まで見渡せるくらい透明で
きらきらと光る青い海のように
深く深く 育てる気持ちがおきますように
その育てる気持ちが起きたなら
そこに座って
こころ静かに
「祈る」だけでは足りなくて
足りないならば
どうすればいいのだろう?
深い呼吸とともに
ゆっくり観想して
「与えて、引き受けて」
くりかえし くりかえし
慣れ親しんで
そしたらきっと
愛は
あなたと私だけに留まらず
とてもきれいで透明な
青い海のように
輝きはじめるでしょう
大丈夫
私やあなたの奥には
ちゃんと光があるから
ただそれを
そっと引き出すだけ
深く深く 息を吸って吐いて
メディテーションは
呼吸と同じくらい
とても普通なこと
LOVE & MERCY
& HUMOUR
Ryoco