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私が、唯一気に入ってずっと使っていた、ハミルトンの手巻きのカーキ。
どしゃぶりの日に落としてしまって、一日中雨にさらされていてもピンピンしていた、とっても丈夫な腕時計。
それなのに、何の前触れもなく、突然止まってしまった。
目一杯巻いて見ていたけれど、その針は、ついに動き出さなかった。
・・・お別れのときなんだね。
私の奥底に燻っていた小さな炎が、ちゃんと消える、その瞬間を見届けたから、
自ら時を刻むのをやめたのかも知れない。
カーキが時を刻み続けたら、私はずっと愛し続けるかも、と思ったかは分からないけれど。
カーキは、いつの間に、私のよき理解者になっていたのかな。
ものが、そんな風であるはずはないのだけれど。
カーキは、ただの腕時計だもの。
だけど、動かなくなったカーキを見つめていたら
そう思わずにはいられないほどに、いたいけに思え、とても胸が痛んだ。
カーキに、とっても愛していたよって、伝えて手のひらで包み込んだ。
ありがとう。
産まれたての、むき出しの愛を
ありがとう。
世の中の数字を、すべて忘れてしまうほどの愛を。
そして、
さようなら。
さようならは、ずっと前に終わっていたかと思っていたけれど、
終わっていなくて、ずっと少しずつ始めていただけだった。
そして、ここまで来て、突然、加速度を増している。
人生には、時に加速度が大切ね。
あたしの愛するカーキが、見えない何かにかわって、
それを教えてくれたみたい。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう!!
両手いっぱいの愛を込めて
さようなら。
✚
Ryoco
これは、とにかく、ぐっとくる。
そして、その活動も素晴らしく、ひそかにずっといい刺激を受けています。
こういう活動や作品を見せてくれる事に、「ありがとう」と感謝するかわりに、
私もつくることへの精神を失わず、
出来る出来ないとかそういう恐れを捨て、クリエイティブな精神を持ち続け、
結果云々じゃなくて、ずっとずっと挑み続け、
自分以外の人や世界とコミュニケーションしていくことを、人生の喜びとして生きていきたい。
東京だけじゃなく、宇宙全体を盛り上げて行こう。
ひとりひとりが燃やせる限りの情熱で。
以上〜!
よい夜を。
Ryoco
追伸:中平卓馬さんに出会って、ようやく寺山修司が私の中に溶け込んで来た。
随分おそい青春。情熱。(笑)
いいのよ。
死に向かうにつれて、若返っていけばいいじゃない!ね?
うふふ。
どんなに哀しさが渦巻いていようとも、ニッコリ笑って古いものを捨てつつ、どんどん変化して行く、見えないけれど見たいその先にある「こういう もの」へ眼を向ける。その変化し続け、繰り返しの中にある、出会いとコミュニケーションの中に、生きる喜びがあるのかなあということを、最近強く感じています。
近年は、こういったブログだってそうだけど、メールで用事が済んでしまったり、SNSで言葉をやりとりしたり、写真だってインターネット上を始め、もう本当に溢れている。何が現実で何が嘘なのか、そんなことですら、どうでもよくなってきているような流れも感じられる。
そんな事が当たり前になっている中、中平さんや岡本太郎さんがぶち当たった大きな壁、そして、それを乗り越えてきた様々な現実。その純粋な情熱と冷静な
思考は、本を通して膨大な量の言葉となって残さた。これは、とても凄い事だ。そして、私たちに色あせる事なく、語りかけている。
大切なのは、結果ではなく、そのプロセスと生身のコミュニケーションなんだ、と。
トークショーの後、あまりにも集中し過ぎて疲れていたのか、思いっきり障害物につまずいて、コンクリートの上に手と膝をついて転んでしまった。
本当に酷い転びっぷりだったのに、打ち所がとてもよかったらしくって、無傷だった。もう、それこそ何年ぶりだろうって言うくらいに転んだので、かなりぞっ
としたできごとだったけど、その無傷だったって言うのが本当に不思議。
みなさんも、足下には気をつけてくださいませ。(笑)
おまけ:渋谷へ向かう横断歩道で、強い向かい風が私の身体を襲った。それは、本当に心から気持ちのいい風で、空を見上げたら、これまた本当に美しかった。
春は、色々な方面でみんなが活発に動き始める季節で、色々なイベントなども盛り上がって目白押しだから、お!って気になるものが本当に沢山ある。
本当は、ちょっとでも気になるものには全部行ってみたいけど、自分から絶対に行こう!と思うものに関しては、一応あまり欲張らずに厳選して行っている。
だけど、EARTH DAYに関しては、なんていうか、そういった気分とはまた違う。
色々な人が集まってくる面白さも魅力だし、もちろん人々の情熱によって動いているって言うところもいいし、今年で2回目の参加だけど、何となく習慣になって来ている感じもしているし。まあ、そんな感じでMieを誘って出掛けてきました。
「もう一年経ったのね〜」って、Mieと驚きながら代々木公園へ歩いて行った。
風がいたずらに吹いていて、さらに強すぎるのがちょっと辛かったけど、と〜〜〜ってもお天気がよくって、半袖でもOKなくらい暖かくて、気持ちのいい日だった。
今日のブログのタイトルには、『EARTH DAYで出会ったもの』なんて書いたけど、ここで私がわざわざEARTH DAYについて深く言及しようって言うわけじゃありません。実は、とても個人的な出会い、というか一方的な再会があったので、その事を少しだけ書き留めて おこうって思います。
友達や、知り合いに会うかも知れないなあとは心の片隅にはあったのだけど、突然、まさかこんなところでこの人が!、みたいな、とても懐かしい人が、人混
みの中、真っ正面から歩いて来て、もうそれは約10年ぶりぐらいの再会だったから、人違いかもって思ったりもしたけれど、やっぱりあれは本人だったと感じ
ています。
昔は、よく遊んでいたし、愛してすらいたけれど、最後の方では殆ど敵みたいな関係になっていたから、今日も声はかけなかった。もちろん、時が立つと、好
きだったなあって言うとてもいい思いだけが残り、憎しみなんて全く残っていないんものだけど、やっぱり最初のきっかけが見つからなかった。
一応、本人かどうか100%の確信がもてなかったから、人混みに紛れてしまったその人を捜したのだけれど、すっかり見失ってしまっていた。だけど、ふと、人混みの中で、何故か佇み、来た道を見つめているその人の姿に出会って、ああ、やっぱり本人だと確信した。
人の佇まいというものは、変わらないものですね。不思議なようで不思議じゃない。
歩き方とか、仕草とか、表情とか、そういたものを含めた全体の佇まいというのは、もしかしたら、本人が死ぬまで大きく変わらないものなのかも知れない。顔や手相みたいに、大きく変わらないもの。
そういうのが発見出来た。あちらが気がついたかどうかは分からないけれど、mieに、「Ryocoちゃん、かなり不自然に方向転換するから、気がついた
んじゃない?」って笑われてしまった。そんな行動には、まったく気がつかないほどに、意識的に避けてしまったんだなあ私。確かに、目は合ったような気がし
ているけど。笑
でも、不思議と話しかけはしなかったけど、いつかまた逢えるような気がした。というか、何年も偶然にも出会う事のなかったその人が、確かにちゃんと生き
ているんだっていうことを、感じる事ができただけでもとても嬉しく思えた。昔のような愛情や、親しみはないけれど、その存在を久しぶりに確認出来た事が、
自分でも意外なほどに嬉しかったようです。
全ての出会いは必然なのだって言うけれど、懐かしい人と再会する時、それも偶然じゃないと言う。その必然は、あの頃に比べて、あなたはどれだけ成長していますか?っていう問いかけなのかも知れない。
不思議だなあと思うのは、今でも、ハグしてもいいわと思うくらいの愛情はあるのだけれど、それと同じくらいの気持ちをその人以外のすべての人にも抱け
るっていう事でしょうか。もし、その人を抱きしめたなら、同時に世界中の人を抱きしめているのと同じ感覚なのじゃないかと思う。
あの頃、こんな風に思う事があるなんて想像すらしえなかった。
今でも、憎ったらしい人であるかも知れない。だから、意識的に話しかけなかったのかもしれない。でも、私にとって、人を憎たらしいと思うなんてそうそう
ない事だから、それだけ愛情を持っているっていう事かも知れない。なんてね。何しろ、学生の頃の出会いって言うのは、それだけでちょっと出会いの親密度が
違う気がする。
家族とは違うけど、無条件に、そんな風な近さを抱いてしまう。
とにかく、今年のEARTH DAYは、予想してもいなかった気分になってしまった、そんな夜。
夜からは、UNITでのイヴェントもとても楽しそうだったから、行ってみたかったのだけど、何だかもう、お腹いっぱいというか、その逆というか、とにかく昼間だけで十分な気分になってしまった。(笑)
そうそう。今回は、キーマカレーとルヴァンのパンを食べました。オーガニックワインも美味しかったなあ。風が強かったから、砂埃が入り込んじゃって大変だったけど、黒いつぶつぶも、「ごまごま!」なんて言いながら食べ進めたり、そんなのも楽しかった。
さて。
帰りがけに、気になっていたケーキが並んでいたカフェでコーヒータイム。代々木公園に近いそのカフェは、朝は8時からやっているっていう、とっても素晴らしい営業時間なお店。
あまりのケーキの大きさに、珍しく食欲おう盛なのが止まらない様子のMieちゃんも、お腹いっぱいになったようでした。
このお店は、珈琲等のテイクアウトもできるので、公園の近くにはありがたいサービス!
今日は、岡本敏子さんの三回忌だそうです。
嬉しい事に、追悼のイヴェントに参加させて頂けました。
ちょっと、最近の気温の変化のせいで風邪でもひいたのかやけに眠くって瞼がくっつきそうな感じだったんだけど、参加出来て良かった。
ライブリーディングなどがあって、記念館の中も歩き回ったりして、そのあと乾杯があったんだけど、珍しくその一杯ですっかり酔いがまわってしまって、
立っているのが精一杯で、周りの人と話したりしないで早めにおいとましちゃったけど、最後に色んな部屋に行ってたくさんエネルギーを吸い込んで来た。庭で
も。
人知れず酔っぱらってしまって、スターバックスで休みながら帰って来た感じだけど、心の中では私なりにしっかり追悼しました。
それは、生きることへの決意だったり、情熱だったり・・・内から外へ向かって行く情熱。
私は、それが、一番の追悼かなあって思ったんです。心の中で、敏子さんと対話させて頂いた。
太郎さんと敏子さんの生き様を感心している場合じゃないんだって思う。
とても激しく感動したから、それい以上のもので答えて、乗り越えていかなければね。そういう、気持ちが一番必要なんだって思います。
上手い言葉で喋れなくたって、子供の頃の眼を思い出せばいい。子供の頃見ていた風景とその感じ方を。
あるいは、人知れず闘って生きている雑草のように、日々変化させて行かないとって思う。毎日は、決して同じじゃない。同じことを繰り返していてはだめなんだ。
それを表現して行けばいいのだと思う。ありのままを。
世の中は矛盾だらけ。その矛盾の中、それにあらがって変化して行くことが生き甲斐なんだって思う。矛盾があるから、面白いとも言えるのかも知れない。
今は、とても自由がある時代だけど、だからこそ何をしていいか分からないで彷徨っている人が多いのが実際のところかも知れない。昔にはない、分厚い見えない壁があるのかも知れない。
その自由の中で、個々がしっかり自分と向き合って、本当の意味での自由を獲得し、宇宙に向かって開くように生きて行けますように。
世界中のみんなが。
それは、その人の決意ひとつなんだ、ということを忘れないでいよう。
そのきっかけは、すべてひとりひとりの手のひらの中にあるはずだから。
死ぬその瞬間まで、ずっと開いて行きたいって思う。孤独の中で。
ひとまず今夜は、敏子さんに乾杯〜!
敏子さんは、太郎さんと一緒に、そこらじゅうにいるような気がしてならなかった。いるってさっかくするほどに。不思議じゃないけど不思議な感覚です。
おまけ:帰り道、毎日のように感動している夜のハナミズキを激写。
『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』を観に行ってきました。
きのう、ふとしたきっかけで、長い間放置していた問題の決別を決意したり、つくる事に対して色々と膨らんだりと、内面的に色々と静かに爆発していた反
面、一夜明けて、会社組織という、正しくないけど当たり前に正しい事になっている、おかしな概念が膨らんでいる、絶望的な彩りの溢れる現実に堕ちそうにな
りながら(何にも考えなければ、居心地のいい温かい場所なんだろうけれど)、それでも、ええい!こういう事に目をそらすんじゃなくって、しっかり見つめてそれを突破していかないと!なんて、自分を奮い立たせたりしていた
のだけど、雨模様のせいもあって、やっぱりどうしても、少し、気持ちが下降気味だった。
でも、やっぱり今夜は観に行くって決めていたので、行って来ました。
観に行って良かった。
キャスト全員に、本物の魂がのりうつっているような、差し迫った演技だった。リリーさんの物語だから、笑えるエピソードも沢山あって、劇場は何度も笑いに包まれたりもしていたけど、やはりこの物語が深く心を打つのは、親子の物語だからだろうと思う。
特に、母と言う存在。
私は、つい最近、その宇宙よりも広くて深い大きな母の愛情を全身で受け止め感じるっていう出来事があって、とてもそれが力になったばかりだったので、そのことを重ねて想った。そして、身体中が熱くなり、涙がこぼれました。
この映画は、リリーさんの話だけど、見る人それぞれの、心の中に在る物語を、自然なかたちで引き出してくれるそんな物語なんだと思う。だから、小説の方は、立ち止まってばかりで全然進みません。本当に、色々思っちゃうから。
とにかく、とても魂のこもった、いい映画でした。
女一人、夜更け、涙顔で歌舞伎町を歩くのはちょっと恥ずかしかったなあ。
雨が降っていてよかった!うふふ。
2年半ぶりに、日本に遊びに来たyukiちゃん。
何故か、毎回彼女が帰国する最後に会う係みたいになっている私なのだけど、今回も何故かそうなった。
今回は、私のお家に二晩泊まりに来たのですが、yukiちゃんはかなりの過密スケジュールでお友達たちと会っていたので、ゆっくり話ができたのはこのお泊まりの時間だけだった。
まるで、いつもの待ち合わせみたいに、再会し、前の続きみたいにお喋りがはじまり、ああ、やっぱりyukiちゃんだわ〜って、しみじみ感じたそんな夜。
何を話したかなんて、いっぺんに思い出せないくらい普通の会話をしていたような気がする。でも、二晩めは、ロンドンの生活の事とか、友達の事とか色々話せて面白かった。なんて言うか、話していて楽な人だなあって思う。思った事は、ぽんぽん話してくれるから。
それにしても、わいわい話し続け、電気を消して布団に入っても、まだ話してしまって、「おやすみ」って区切りをつけないと収拾がつかないとか、そんなのって、本当に修学旅行みたいで楽しかった。
帰ってしまってから、暫くは全くいつもと変わらない感じだったけど、朝早い帰国だったから見送って帰宅して暫くまた眠って目覚めたら、妙にぽっかりした気分になっちゃった。
それで、何故か途中で、読めなくなっていた岡本太郎の『母の手紙』の一平の手紙のところを一気に読んだ。そう言えば、自伝とかフィクションとかって、最後まで読むことができない事が多い。最後の方になって、終わらせたくなくってほったらかしになっている本が沢山ある。
これは、yukiちゃんの携帯電話。
フロム・ロンドン。
ビデオがついていて、きれいに撮れるの。驚いちゃった。
ハイテクの波に全くついて行けてない私。
写真はないけど、mariちゃんも誘って、3人でマルイチベーグルにも行った。美味しいって喜んでくれてよかった〜。