私は、小学2年生の春、都内から近県の田舎へ引越しをした。
駅からは遠く、当時は人口も少なかった。今でこそ、なかなか内容の充実した大型ショッピングセンターのようなものができたりしたせいか、人口は増えてき
ているようで、実際、暮らしている人は、特に東京じゃないと駄目だという何かがない限り、車さえあれば不自由を感じている人はいないのだろうと想像出来
る。
それに、考えようによっては、とてもいい地域かもしれないなあと思う。園芸をするにしても、大型園芸店には事欠かないし、スターバックスへ行けばおいし
いコーヒーにありつける。探せば、素敵な喫茶店だってあるだろう。東京からそう遠くはないのに、空気はやっぱり違うし、空のうつろいには、毎日のように感
動させられる。
だけど、若かりし私は、そんないい環境にある田舎を、住めば住む程好きではなくなっていった。
それについて今回書くつもりはないのだけど、田舎で感じた、世界の小ささが我慢できなかったのだと思う。
引っ越して初めのころは、大自然の中に飛び込んでいくというようなイメージがあったので、動物や自然が大好きだった私は、頭の中をフル回転させてアドベンチャーな毎日を期待していたのだけれど。実際は、その喜びよりも寂しさの方が大きかったように思う。
引っ越したばかりのとき、まだ家の両脇が空き地だったころ、左側の空き地から我が家のまだ新しさに落ち着かないでいる庭を覗き込んでいる、はっきりとした目鼻立ちの美しい少女が立っていた。
どうやら、新しく引っ越してきたうちに同じ年のくらいの女の子がいると噂でも聞いてきたのだろう。子供は、新しい出会いに柔軟だ。
少女と私は、同級生ということもあって、すぐに仲良くなっていった。
突飛な好奇心の矛先が妙にあったのか、私たちは本当に毎日のようにさまざまな遊びを考案していた。毎日を、アドベンチャーにすることは、たやすい事だった。それは今思うと、なんて素敵なんだろうと思う。
少女と私は、きっと、物語を読んで、想像を現実世界にまで膨らますことをせずにはいられないという、性質が合っていたのだろうと思う。
例えば、『十五少年漂流記』を読んだ後、あそこまでとは言わないけど、未開拓の土地(あくまで自分たちレベル)に行ってみたくて仕方がなくなった私は、
それを少女に提案した。二人でよ〜く話し合った挙句に、近くの川をどんどん上って上流まで行ってみようということになった。
飽きもせず、暗くなるまでどんどん川の上流を目指した。そして、もうすぐで日が落ちるというときに、川は柵で覆われてしまって、その先は、もう川と言えないような狭さの川が、荒れた植物や木々に覆われて見えなくなっていた。
これ以上はいけないなあとあきらめて、初めて辺りを見渡すと、どこのど田舎かと思うような、見知らぬ風景が広がっていた。
辺りはすっかり暗い。
そこで、初めて途方にくれた。ようやく一件の民家を見つけたときは、『トロッコ』のような気分だった。
農家を営んでいるだろう民家の玄関は、ちょっと開いていたけれど、声をかけても誰も出てこないから、戸を開けて玄関へ入って、もう一度声をかけてみた。そうすると、のろりのろりと年老いたおばあちゃんがでてきた。
ここは何処かと聞いても、聞いたことのないような地名だし、おばあちゃんも私たちの住む場所が分からないようだった。
それは困ったねえと言いつつ、ひとまず電話しようということになった。私の母はまだそのころ車の免許は持っておらず、父は日が変わるくらいに帰宅するこ
とが多かった。少女の母親は、小さなマニュアル車に乗っていたので、それだけが頼りだったけれど、二人して罰の悪い気持ちで、黒電話を見つめたのを覚えて
いる。
その後、おばちゃんの車に揺られながら、とりあえずこれで安心して家に帰れると深く安心したのまでは覚えているけれど、それ以降のことは全く覚えていな
い。(どきどきしながら「ただいま・・・」と帰ると、普通に夕飯の準備をしながら、「おかえり〜」と何の疑問も持たずに言われたのだけは、今思い出した)
とにかく、わくわくする楽しい冒険だった。
時間は、そんな風に、どこまでもどこまでも無限にあるように思えるくらい沢山あったけれど、一方で、子供ながら、この時は限られているということを知っていたような気がする。
その時間が楽しければ楽しいほど、夜になって一日が終わってしまうことが無性に寂しくて、胸にギューンと迫るほどのせつなさを感じていた。
そうやって、ひとつひとつに、毎日とびきりの「さようなら」を言っていたのだろうな。
本当は、大人になってもそう出なければいけないとは思うけど。
もうひとつ、その少女との遊びで印象に残っているのが、下校のときに考案していく遊びだ。
私たちの住んでいた場所は、近くに小学校があったのだけど、何故かギリギリ学区外だったため、歩いたら一時間くらいはかかってしまう場所にある小学校まで、高いお金を払ってバスで通っていた。そんな中、週に1回くらいは、歩いて帰る日があったように記憶している。
その遊びのなかで、特に今でも思い出しただけで楽しい気分になるのは、電柱と電柱の間で世界を区切る遊びだった。
そこの世界の住人はこんな風だというのを、思いつきで瞬時に決めていって、電信柱が変わったとたん、そのへんてこな世界の住人になりきるというものだ。
詳細は覚えていないけど、本当に自由で何でもありだった。そういう意味では、変わった子供だったのかしら。何しろ、何かを考えて遊ぶことに、夢中だった。
例えば、「次(の世界で)は、足が4つ〜!」って叫ぶと、長〜くのびた二人の影を見ながら、二人の歩調を合わせて、4本の足で歩いているような影を作り出す。(とはいえ、これはしょっちゅうやっていたけれど)
「あし〜がよっつ〜」と歌いながら、夢中になって歩いていました。
次の電柱が見えてくると、「次は、あ行しか喋れない人〜」とか、そういった具合だ。本当に無限のくだらない(もしくは素晴らしい)発想に満ちていて、私たちを目撃した人がいたならば、かなり風変わりな行動を取っていたように見えたかもしれない。
大学生のころ、その思い出が無性に懐かしくなって、彼女に手紙を書いてみたことがある。彼女は、自己主張がとても強いので、大人になるにつれて、人には
とっつきにくいと思われていたり、噂の種になったりするようになっていたような気がする。だけど、その手紙の返事のなかの彼女は、あの頃のままのキラキラ
した気持ちを忘れていなかった。とにかく、私たちの頭の中では、その後の色々な噂すら色あせるくらいの思い出が保存されているのだろうと思う。
その手紙を読んで、彼女もとても懐かしかったのだろうと思う。その手紙から会うまでにそうじかんはかからなかった。彼女の運転する車に乗ってバーに行った。なかなかの豪快ドライバーで、事故もやったことがあるようだ。
何か精神的に詰まると、夜に車に飛び乗って、首都高まで走りに行くとはなしてくれた。外見も含め、決して彼女は走り屋とかヤンキーではないから、イメー
ジとしては、物凄い美女の内面が凄く男らしいと言った感じだろうか。男みたいに暴走しに行く図を想像してもらえればいいかもしれない。
「へえ〜そうなんだ〜」と言いつつ、事故らないかしらと手に汗を握った気がする。でも、本当に美人になっていて、見とれてしまった。とてもやわらかくは
なっていたけど(何しろいたずらと悪知恵にかけてはピカイチだった。私の弟はよくいじめられていたらしい。笑)、相変わらず、頭はいいようで、会話が面白
いなあというのを覚えている。
そんな彼女が、夢に出てきた。
夢の中での彼女は、他の知っている女性にも感じたけれど、なんとなくその彼女だったという印象が濃く残っている。
夢の中で、色々な不思議な遊びをしていたような感覚が残っているのも、やっぱり彼女だったからかなあと思う。 何故か一途中で現れたのが、昔つきあっていた人というのは夢のなせる業だろう。
とにかくよく覚えていないのだけど、断片的に鮮やかに覚えている。お日様がさんさんと照っている自然と、川があった。
何でこんな夢をみたのかなあと、なんとなく気になってぼ〜っと考えていた。
多分、この夏に彼女の近況を噂で聞いたからだろうと思う。離婚して、実家には帰らず、一軒家に住んでいると聞いていた。何故、一軒家に住んでいるのだろうと、なんとなく考えていた。
どんな気持ちで毎日を過ごしているのだろうと、なんとなく、気になっていたのかもしれない。
あの小さな庭で、私のほうを見てにっこりと笑った少女。
目を合わせて笑った私たちが過ごした少女時代はかけがえがない。
あの出会いがなければ、田舎生活はまた違った物語を生んでいただろうと思う。
中学に進んでからは、全く違う時間を過ごしていたけれど、あの頃に共有した思い出は、心に思い浮かべる風景こそ違うかもしれないけど、同じ歓喜と、新鮮さが私たちだけの心に輝き続けている。
また手紙でも書いてみようかなあと、ふと思ったそんな日だった。
love,
Ryoco