3連休の始まり・・・とは言っても3連休じゃない方は沢山いるのですが・・・(やまごんが、「普通の働き人は3連休か!」って言っていたのが面白かった・・・普通の働き人って表現が)・・・本当に寒かった!
やまごんがちょっと楽しみにしていた雪は降らなかったけど。
先日、あつむくんに「だってそれ、フトン着ているのと同じだもんね!」みたいな事を言われ、はっと悟った私ですが・・・寒かった!
悟った事というのは・・・どうりで近年、「暖冬だなあ」とか、「ここ何年かで、冬の寒さに強くなったなあ」とか感じていたわけだわ・・・と言う事だった。
なんだ私、フトン着てるから寒くないんじゃん!って悟ったという・・・何とも間抜けな話なのですが。
フトンというのは・・・パタゴニアのダウンジャケットの事です。アラスカへ行くために買った・・・そして、まだ行けていない!
あまりにも毎日暖かいので、私にとっては秋用のダッフルコートを着てみたら、普通に寒かったです。
ダウンのあたたかさは、凄いんだなあ!
さて。
今週は・・・忙しかった・・・
ので、何となくテンションが高めの私です。
何と言うか・・・頭がフル回転している感じ。
占いの類に、依存はしないけれど、やっぱり面白いなあと思う。
特に、占星術とか、細木数子さんの六占星術も面白いと思うし、夢占いも面白い。手相だって、きっとその刻まれた線には意味があるのだろうと思う。
身体のパーツのひとつひとつ、皆それぞれ違っていて、そう生まれてきた意味があるように、生まれた日にも意味があると思う。
そう言った意味で、そういうのを掘り下げて研究してきた人が編み出した占いというものに、生命の不思議を知るひとつの窓口があるなあと思うから、面白いと思うのだ。
直感で、これは聞いといた方がいいかも・・・と思った事は、信じていなくても、ちょっと考えてみてもいいんじゃないかなあと思う。
って、こんな話を書くのも、今週、自分の中で面白い変化があったから。
急に、何かのつかえがとれたように、まわらなかった頭がフル回転で動き始めて、次々とアイディアとか言葉が浮かんできて、止まらなかったから、取り敢えずノートに書き留めていた一日があった。
その前日までは、明らかに思考が停止していたような気がしていた。
こう言う事は、時々ある。どんどんどんどん考えが生まれては先へ進み、まさに、コップから水が溢れるみたいに色々と生まれてきちゃうとき。
それで、今回、あまりにもその前日との差が激しくて、私は同じ人物かしら?とさえ思ったので、試しに細木さんの占いでどんな日だったか見てみたら・・・ビンゴだったのです。
前日までは、いわゆる大殺界。そして、アイディアが生まれてきて、フットワークもいきなり軽くなって、色々と調べたり行動する意欲も沸くわ、色々な願ったりかなったりの本に出会ったり・・・とか、色々あった日が、“種子”といわれる日だったのだった。
というわけで、こう言うとき、とての素直な私は、種子のその日に出会ったり考えた事は、育てていこうと思ったのでした。
占いって、そんなふうにヒントすると、面白い事も結構あるんじゃないかなって思う。
当たるとか、当たらないとかは、あまり関係ないっていうかね。私はそう思っている。
いわゆる、「知る」ためのひとつの方法としてとても面白いと思うだけ。
占いがどうあれ、自分の人生は、自分が切り開いていくものだから、例え悪い占いがあったとしても、それに振り回されてはいけないと思う。
愛と感謝の心、慈悲の心を持ち、実践していけば、悪い運気だって吹き飛ばせると思う。
それに、悪いと思うような事だって、自分の人生にとっては最善の学びなんだと思えば、辛い中にも歓びを見いだして乗り切れるんじゃないかなあと思う。
悪い占いが当たっていると思う時には2パターンがあるような気がしていて、人生を適当に生きているから当たってしまうという場合と、しっかりと地に足つけて心身ともに心掛けて生きていても当たってしまう場合。後者については、きっとそれは避けられなかった人智を越えた宿命で、それは決して悪い事じゃないと言う事。そう言う人だからこそ、与えられた学びなんだと思う。
とにもかくにも、占いに振り回される事なく、今、この時を大切に生きていきましょ。
私自身、睡眠不足などで、ちょっと気が衰えているなあと思う時、光に包まれている事と、金色のベールで自分が覆われている所を想像します。
こう言う事って、とても役に立つなあと思う今日この頃。
なんていうか・・・とても気持ちが良くなって元気になっていく。
そう言えば、毎年年末になると、来年の手帳の色を真剣に考えるのですが、今年の色は是非黄色にしたい思いついたら、私の毎年買っている手帳には黄色がなかった。
それで、ある色のなかから直感で選んだ色が金色だった。
何だろう。色の力ってあるなあと思う、今日この頃です。
何故かイライラしちゃっていたから、“怒り”についての智慧については本当に心が洗われる思いがしました。
そうかあ、そういう大切な智慧をちょっと忘れていたんだなって。
まだまだだなあ、私!と思ったら、ムクムクと元気が出てきて、とても気持ちが明るく、軽くなりました。
何て言うか、チベット仏教をああやって読み解いていったダライ・ラマの素晴らしさは、なかなかうまく語る事が出来ない。
そして、もっと元気になるためには・・・太郎さんに会うのがいいなあと思う。
本とか、絵とか、記念館に行ったっていい。
そうそう。
ちょうど今、岡本太郎記念館の企画展が、『透明な怒り』と題されているのだけれど、怒りにも2種類あって、太郎さんのように怒る事は、とても素晴らしい事だなあと思うんです。
だけど、人を一瞬でも憎んだり蹴落としたり・・・そういう風に思ってしまう黒い怒りは、全ての善い行いをなかった事にしてしまうぐらいの力がある。光すら暗い色で覆い尽くしてしまう力がある。
だから、イライラしてきたら、ちょっと自分から一歩離れてみて、観察してみるといいんじゃないかなあと思う。何でこんなにイライラしているんだろう?原因は?え?そんなこと?例えばこれがハワイだったら、NYだったらどう感じるだろう?とか・・・色々な角度から見て行くうちに、その怒りがなんともばからしい事だったという事実に気がついて可笑しくなってしまうだろうと思う。
反対に、よき事のために、怒ることからは、目をそらしたらいけないなあと思う。
太郎さんが、「自分の中に毒を持て」とおっしゃっていたけれど、自分なりの哲学を持って怒っていかないと、生み出して表現していかないと、自分の魂が輝かないし、世界と響きあえないと言う事だろうと思う。
世界中が歓喜するためには、ひとりひとりの『透明な怒り』がどんどんぶつかりあっていくべきなんだろうな。
私は、祈る事を毎日しているけれど、祈っているだけでは、もちろん足りないと思っている。
具体的に実践して行く事が合わさって、やっと面白い形が見えてくるのだと思う。思いがけずに。
例えば、デザインなんかもそうだ。不思議なもので、頭で考えるより、手を動かしていると、思っても見なかったアイディアが生まれて、夢中になているうちに、何だか分からないけれどいいものが出来てしまった、って言う事が殆どだ。
それと同じで、具体的に行動していく中で、人は大きく成長していけるのだろうと思う。
もちろん、その中で忘れては行けない心もあるだろう。
愛とか感謝とか、慈悲の心とか。
そして、私たち人間は、宇宙とこの地球の自然、ほかの生命と共に在る事を忘れてはいけない。
というわけで、すっかり書こうと思っていた吉祥寺でのお話は書く余力がなくなってきてしまいましたが・・それはまた次(明日?)の更新でお話ししようと思います。
ではでは、みなさんもよい週末をお過ごしくださいね!
Aloha
love ,
Ryoco
そう言えば、ショッキングな事に、何となく危惧していたけれど・・・
私は乗り気ではなかったのに、Mieと不動産やさんにプッシュされて、ここに引っ越しを決めた
私なりの大きなポイントのひとつが、この景色だったのに、
どうやら、向かいの会社のビルが壊された後に出来るのは、マンションらしく、
それが出来れば、確実に景色が奪われてしまいます。
それも、今年中にはそうなるのでしょう。
いよいよ、本気で引っ越しを考えるべきなのかなあ・・・と思うけど、先立つものがない。
ああ、無常とは言え、もっともっとこの景色を見ていたかったなあ。
もうじき「さようなら」することになるのかと思うと、
今こうして広がっている景色が、奇跡みたいに思える。
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