gooood monning!!
休日の朝だというのに、6時に目が覚めてしまいました。
でも、あまりにも空がきれいだったので、ベランダに出て空を眺めまていました。
う〜ん、気持ちがいい!!
先日、割と混んでいる電車の中で優先席の前に立っていたんだけど、とある駅でお客さんがば〜っと降りたとき、優先席だったし、特に座ろうとすら思わなかった。私の前に座っている人たちは降りなかったし。
そしたら、前にいたおばあちゃんがむかいの席を指して、「席が空いていますよ。座られたら?」と、笑顔でおっしゃった。ドアには、今にも飛び込んできそうな人の群れ。
お年寄りなどがいない事を確認した後、おばあちゃんにお礼を言って座った。
なんとなく、立っていた時からおばあちゃんが時々私を見上げているなあと思っていたのだけど。
重くはなかったが割と大きな荷物を持っていたからだろうか。
まだ少し体調が悪いのが分かったのかな。
いずれにしても、こんなちょっとした心遣いが、疲れた身体にふわっとあたたかいものを流し込んでくれるんだと実感できた出来事だった。
私は、色々な場面で、おばあちゃんに助けられてきた。
それも何故かいつも電車とかバスの中。ふっと、傍らに現われて手を差し伸べてくれるおばあちゃんたち。
私も、そんなおばあちゃんになりたいものだなあと思った。
昔は、今よりずっと、他人との距離が近かったなあと思う。
そう言う時代を生きていたおばあちゃんたちは、きっとそれが自然な事なんだろうなって思う。
今は、マンションも増えたし、私が小さい頃に走り回っていたような環境とは少し違う。
人付き合いも、薄くなってきている気がする。
多くの他人の助けがあった。近所のおばちゃんは、平気で叱ってくれた。
そういう環境が、あたりまえじゃなくなるなんてねえ。
でもきっと、そう言う事を見直す人が増えて、小さな生活に人と人とのゆるいコミュニケーションという、あたたかい活気が戻ってくればいいなあと思う。
私は、東京の下町で幼い時期を過ごしたせいか、あの、賑やかな商店街にあったような街の営みをとっても大切に思っている。
田舎にも良さがあって、惹かれるんだけど、私は商店街にあったような、ごちゃごちゃとした賑わいや、人々の活気・・・特に夕暮れ時に集まってくる人々の笑顔・・・八百屋さんの声・・・のようなものをとても愛しているなあと思う。
今は、共に成長するそういう商店街が消えて行ったりしてるみたいだけど、東京で失いたくないなあと一番思うのが、商店街だなあと思う。
ここ数日で、あたらしい命ができたこと(ちーちゃん、おめでとう!!)を聞いたり、去りゆく命のこともいくつか聞いた。御冥福を心よりお祈りしています。
連日、TVから流れてくるニュースでも、哀しい事件、事故がとっても多い。ニュースは、伝えた後はあっという間に次の話題に移って行き、多くのニュースはまるで別世界の話のようだ。
だけど、どんなに小さい事件だって、人ひとりの重みは変わらないのだ。
心から、祈らずにはいられない。
深い深い闇の中を苦しみながら歩いた時期があるから、当事者の苦しみが分かってしまう。
誰一人、欠けていい人などいない。
そして、誰一人、死なない人なんていないのだ。
この世から肉体が消えるのは、やっぱり寂しいけど、魂が肉体から離れるその時に、執着や心残りが無いように、“今”この瞬間を精一杯生きる事しかないのだ。
魂は死なないけど、肉体は、次の瞬間に存在しなくなるかもしれないのだから。
だから、きらきらとした光を見続けましょ!
私は、最近ピカピカの朝日に当たるのが大好きです。
太陽の光は、想像以上に大きな力をもたらしてくれます。そのきらめきは、身体に記憶されて、どんなに暗い闇を見つめた時でも、とても大きな助けになってくれます。
太陽さん、ありがとう!
うちのクワズイモちゃんも、あなたのお陰で寒い冬にも負けず頑張っているよ。サボテンちゃんも、気持ちよさそうにしているよ。クワズイモちゃんは、大きな葉っぱと、根元にちょっとの小さい葉っぱのみになってしまったけど、大きな葉っぱの茎に、BABYを宿しているよ。冬なのに成長しています。
ああ〜、実は最近、睡眠状態がよろしくなくて、というのも、疲れてバタンキューしちゃうから・・・そのせいで変な時間に目覚めちゃって、今日もさっきまでまた眠くなってきてだるかったのに、東の空から登ってきた太陽にずっとあたっていたら、すっかり元気になってきました。
生命力が、むくむく沸き起こってきます!
岡本太郎さんは、毎朝6時には起きて、太陽を浴びていたそうだ。
今は、私もそんな生活だ。
ハワイ島の人もそうだけど、朝日とともに起きて、暗くなったら寝ると言う、リズムって、もうそれだけで、もの凄く人間に力がみなぎるんだと思う。
スチャダラの曲にもありますよ。
♪よるになったらどうすんですか?♪ ♪夜になったら寝るんです!♪
ってね。
私の若い頃は、好奇心たっぷり(まあ、これは今も結構そうだけど・・・)で、とりわけ刺激を求めていたけれど、そんな私を、海外に留学するという選択肢以外は、限りなく自由にしてくれていた母が、いつも言っていたこと。
普通であることを、とっても大切に思うのよお母さんは。って。
別に、頑なにではなくて、それをただ大切にして、そこで生きてきた母を、とても凄いなあと思う。
若いころは、冒険好きな私としては、理解できない部分もあったけど、その一貫した姿勢は、とてのしなやかで力強く、いつしか、周りの人を大きく包み込んでいるものなんだなあというのが、今、ようやく分かってきた。
普通であることは、何も退屈なことじゃないのだ。
その場所にある、小さなきらめきや奇跡が見えるようになれば、世界中を歩き回るより多くの旅が出来るのだと思う。
宇宙は、今、ここに、共に在る。ちゃんとね。
普通であること、という言葉のもの凄い深さを、ここ一年で、もの凄く知って行ったような気がする。
30代とは、そういうものが見えてくる時なのかもしれないなあと思う。
日常のきらめきには、どんな大きな成功や輝きとも、少しも変わらない奇跡が沢山潜んでいる。
それが見えるようになったら、世界がぐっと広がるよ。
その広がりを体験すると、きっと身体は瑞々しく力強いエネルギーがみなぎり、笑顔がこぼれることでしょう!
昨夜、作業着を着た、今日一日の仕事を終えて一服しているようなおじさんが、煙草を口にもって行ったと同時に、そらを見上げてそのままじっと上を向いたまんまになっていた。
私も、家に着いて自転車をおりて空を見上げると、澄んでいる冬の空に星が瞬いていた。
都会の片隅、田舎の片隅、どこにだってふっと一人になれる場所がある。
そんな瞬間に、ふと、空を見上げて、くぎ付けになる時間。
そんなとても個人的で孤独な光景を、とても愛おしく思う。
孤独な魂は、空を見上げれば、ひと繋がり。
空にある輝きは、私たちの魂そのもの。
Have a nice day!!!!!
Aloha
love,
Ryoco
【昨日の空マニア】
追記:
片山先生の、『身体にきく』で、語られている“体癖”とは、性格以前の“身体の感受性”なんだけど、小さいころからどうしても持っていた人と違うと思っていた部分とか、そういうのが何でかなってずっと思っていた事が、例えば魂の話とかを持ち出さなくても、“体癖”として語られることによってより実感として理解できるのって、凄いなあと思った。
ここに書かれていることは、実は自然にみんなやって来ていることなんだけど、それをじっと見つめて気がついて活かしたという所が素晴らしい。
これを読んでいると、人は、とても素晴らしい能力を持っているのに、多くのもの便利な機械に頼り過ぎて、その本来持っている力を忘れてしまったのだなあと感じずにはいられなかった。
笑ったのが、私は多分だけど、第3種にあたる体癖の持ち主なんだけど、3種について、『3種の人は、食べられなくなることに強いストレスを感じます』と書いてあったこと。
これは、笑った。
昔、デザイン事務所で働いていたころ、みんな放っておいたら、昼も夜も食べることを忘れて仕事をしていた。まだ入ったばかりで「お腹空いた!」と言い出せない私は、皆のことが本気で信じられなくて、ご飯にしようかって声をかけてくれない上司にイライラしたことがあったっけ。
もう、倒れちゃうよって思うくらい切実に感じていたし、みんなが不思議でしょうがなかった。
・・・だから、これにはめちゃくちゃ笑えました。体癖だったんだ・・・って。
一人でいる時や夢中なときは、食べるのを忘れることがあるけど、それでも、いつでも自由に食べれるんだと言うゆとりがあるゆえ集中できるんだろうと思う。
食べられなくなることは・・・意識しなかったけど、多分人よりストレスを感じる方かもしれないなあ。(笑)
そして、体癖には相性もあるらしく、理屈じゃなくて体的に(性的な意味じゃなく)どうしても合わない相性もあるらしい。片山先生の師であり、有名な野口晴哉さんは、相性の悪い3種(私だ)のことを、ロクな評価をしなかったらしいです。(笑)
今日は・・・長すぎますよねえ、この日記!
だって、起きたのが6時で、今は9時40分!
さて。
そろそろ終わりにしましょうね。
私の姪っ子のはるちゃんの写メールが送られてきて、毎度驚くけど、もの凄い成長していて、会いに行かないと〜〜って焦ります。
弟が、ふと、「はるちゃんにとって、おねえちゃんの存在って薄くない?」と漏らしたそうです。そりゃそうだ。だって、私以外の両家族ともに、近くにいるんですもの!寂しい・・・
でも、はるちゃんは、とっても本が好きで、なんでも手に取ってめくってお話しするようになったらしく、本好きならお友達になれそうだ・・と、未来を楽しみにしたり。
でも、先日、約1歳半にして、初めてのディズニーランドに行ったらしいのだけど、もう、もの凄〜〜〜〜〜〜く感動したらしく、一日見た事を、身振り手振り、踊ったり歌ったりで、じぃじとばぁばに、興奮しながら話してくれるそうだ。
まだ言葉が喋れないので、あっこちゃんが訳してあげると、ウンウン!と、頷いて、伝えられることに歓喜しているそうだ。
もの凄い記憶力と創造力が溢れているのが、伝わってきた。
今でも、「バーン!」とかいうと、ディズニーランドの花火を思い出して、身振り手振りで花火を表現して大喜びするらしい。
本当に、今この瞬間に、確実にその場所に行って花火を見ているって言う目をしていると、母は言っていた。
そんなに感動したんだね、楽しかったんだね、はるちゃん!
素晴らしいよ!
そういう感動を忘れずに、育って行ってほしいね。
そして、私たちもそういう感動をし続けたいですね!
では、よい一日を!
ここまで読んでくださった人がいたのならば・・・
本当に、どうもありがとう!!!