さて〜
すっかり、風邪なのかなんなのか、妙にいいテンションになっています。
こう言う時って、とても疲れてボロボロみたいなんだけど、ふっと光をつかんで、
歓喜できる瞬間を、繊細に捉えられる感じがする。
こんばんは、みなさんはどんな夜を過ごしていますか?
こういう微妙な風邪は、大人と会うのは大丈夫かもしれないけど、子供と会うのは危険な気がします。
・・・・なので、本当はとっても会いたかったアサちゃんのサキちゃんに会うのは諦めました。
また今度、元気な時に遊ぼうね!
今日は、身体がだるいにも関わらず、何だか行きたくなってしまい、電車を降りてabcと言えば青山ブックセンターに行ってきた。
こういうギリギリのというか、結構いっぱいいっぱいの体調のとき、自分の行動はとても雑で効率が悪いようで、実はとても的確に・・・というか、見えない誰かに助けてもらいながら、結局は効率よくまわれているから不思議だ。
着くなり、金原という人のサイン会の案内が目に入ったけど、素通りして、入口のクリスマスコーナーも気がつかず、何故か店の奥まで行く。そして、探していた雑誌のバックナンバーが置いていない事を確認すると、もう用事はなくなってしまったのだけど、ふらふらと絵本のコーナーへ行った。
ぼや〜っとした頭で、本棚を見つめていた。
そして、これ、これ、と何となく気になった本を開く度に、別にクリスマス向けの本というわけでもないものでも、天使がでてきて、心にぽっと光が灯ったような気持ちになって、微笑んでしまった。
最初に手に取った2冊の本が、とても心にうわ〜って来て、涙が出そうになったくらい感動して、改めて絵本の素晴らしさを感じたのであった。
まさに、私のことが書いてあるなあと思った。絵本とは、そういうものじゃないだろうか。
感動した本ならば、きっとそこにあなたもいるはず。
1冊は、クリスマスのお話なので、はるちゃんのクリスマスの贈り物にすることにした。
それから、ふら〜っと一周して、再度、この本屋は不思議だ・・・・まるで私のためにある本屋のようだ・・・と思ってしまう程、あまりにも自分が愛する人たちの本のボリュームが多くて感動しました。
絵本のコーナーでは、私の大好きなばバーバラ・クーニーのフェアをやっていましたよ。
こんなに一同に見れるなんて、まさに夢のようなコーナーでした。
フラフラして、また絵本のコーナーに戻ってて、ふと目にした仕掛け絵本を手に取って開いたら・・・
開いたページに天使があらわれて、さすがにビックリした。
もはやこれは、いつも私の事を守ってくれている天使さんが、「いつも側にいるからね!」と、教えてくれているのだろうなあと思ってしまう程でした。
こういう風に、受け止めて行くと、人生は苦しい事ばかりに見てたって、愉快なことに溢れているのです。
本屋に入って、一番最初に手にした絵本。
これは、本当に感動しました。
これは、出会いだなあ!と、本当に思った。
私は、きっとこれからも何度でもめくって行くんだろうなあと思う。
きっと、この絵本があれば大丈夫って思える瞬間が、いっぱいあるだろうと思う。
荒井良二さんの絵はとっても好きだけど、中でもダントツにこの絵本が好きだ・・・と確信した。
そう言えば、大好きな茂木健一郎さんの出ている『プロフェッショナル仕事の流儀』、次回は荒井さんですね。見逃さないようにしないと・・・・
結構、最近はみたいと思っていたテレビを見逃すからなあ。ぱたっと寝てしまったりして。
このプロフェッショナルもそうだけど、この前も、『情熱大陸』で見城徹さんをやるから絶対に見ないと!と思ったのに見逃しました。
見たかったなあ〜〜〜
話は飛んでしまいましたが、荒井さんの続きです。
私が最も愛する作家のうちの一人、レイ・ブラッドベリの新作『さよなら僕の夏』の表紙は荒井さんが描いています。これは、『たんぽぽのお酒』の続編なんですねえ。
実は、この物語、ブラッドベリの作品の中で私が好きなものと、ちょっと違っているせいか、持っているけどまだ読破していないんです。でもきっと、いつか必要な時に一気に読んでしまうのだろうなあとは思っています。
それにしても、ブラッドベリ、もうとってもお歳を召しているのに、精力的に作品を発表していて、彼なら当たり前の事なのかもしれないけど、凄い事だなあと思う。
もう本当に大好きな作家です。
次に手にしたが、この絵本。
駒子さんの『よるくま』も大好きだけど、これも素晴らしかった・・
絵本を読んで、こんなにあたたかい気持ちになれるなんて。
絵本は、子供のころに触れた物語の感動した心をいつでも瑞々しく思い出させてくれる。
私は、小さい頃、本当に物語の世界を愛しまくっていた。
その好きな世界観が、この物語にはいっぱい詰まっている。
きっと、子供に読んであげるお母さんも、とても気持ちが良くなってしまうんじゃないだろうか。
色使いも、もの凄く素敵で、ずんと引き込まれて行きます。
はるちゃんに、このよるくまくんを会わせたいなあと思った。
そして、この二冊の絵本には、天使が入ってますよ。
帰ってきて、テレビをつけず、ラジオが聴きたくなってラジオをつけた。
そしたら、オノ・ヨーコさんの『イマジン・ピース・タワー』の除幕式の様子をやっていた。
この光の塔の建設をしたのは、アイスランド!
大好きなビョークの故郷だから、一度は行ってみたいと思っているアイスランド。
これで、ますます行ってみたくなっちゃった。
いつか、行けたらいいなあ。
この除幕式は、ジョンの誕生日に行われたそうで、ジョンの願いが叶ったんだなあと思うと、今でもジョンの魂は生きて活動しているんだなあと思った。
私がオノ・ヨーコさんに出会ったのは、高校の近くにあった大好きな市立図書館だった。
太い本・・・題名は『オノ・ヨーコ』だっただろうか・・・が最初の出会いだった。
確か、本を読んで泣いた気がする。深く深く感動した。
あの図書館では、本当に今でも心に残る本の出会いが沢山あったなあ。
そういう体験のお礼に、私の絵本を寄贈したけど、何だかいらない本を受け取るみたいな、荒い対応をされて、結局図書館には入れてくれなかったみたいだから、きっと古本に交じって、入口の古本(ご自由にどうぞ)のコーナーにでも置かれてしまったのだろう。
ほかの図書館では、そう言う冷たい対応はなかったから、かなり残念であった。なんというか、対応の悪さを見ていたら、まるでそこの人間関係がうまくいっていないのが目に見えて分かってしまった。
皆がいっぱいいっぱいという感じだった。対応してくれたのは、アルバイトみたいなおじいちゃんだったんだけど、オロオロして、奥に引っ込んだと思ったら、きっと奥で言われたままであろう台詞を機械みたいに繰り返して、さっさとお引き取りくださいという感じの内容を私に伝えるだけだったっけ。
オノ・ヨーコさんは、この光の塔を別に、ジョンの誕生日だからって作ろうと思っていたわけじゃないと言う。
始まりは、40年前で、コンセプチュアルなものでしかなかったのに、ジョンがそれを作りたいと思った事で、二人は出会ったと言う。そんなエピソードは初めて聞く気がして、それをヨーコさんの言葉で聞けた事は本当に嬉しかった。
『不思議でしょ!』と、インタビューで光の塔がこうして形になるまでの長い道のりを語るヨーコさんの言葉は、とても嬉しそうでキラキラしているのが伝わってきた。
そして、リンゴやそのほかの人に見守られ、除幕式で光の塔が披露された時の様子を聞いていたら、ラジオだから見えないのに、見えるようだった。
そして、見ているわけでもないのに、涙が溢れて溢れて仕方がなかった。
想像しただけで、それが素晴らしいものだって言うのが分かる。
アイスランドの大地に、空に向かって何処までも光って行くその様子・・・
是非、この目でも見たいものです。
こんなに素晴らしい塔ができたのは、本当に奇跡みたいだなって思った。
本当に、聞き慣れてしまったLove&Peaceだけど、本当にそれが一番大切だと心から思います。
愛こそ全て。
愛があれば、世界は大丈夫だと思う。ずっとずっと小さいころからそう思っていた。
だけど、それを忘れると、Peaceが壊れてしまうのだろう。
ジョンとヨーコというひとつの愛の形から、宇宙全体の愛へと広がって行ったのはごく自然だったのだろうと思う。それは、彼らがとても純粋だからで来た事だろうと思う。
全体の幸せ無くして、個人の本当の幸せなどあり得ないから。
前に、私の心からの苦しかった事も含めた愛についての話を、心を開いて話した人に、「人の不幸は蜜の味」と言われた事がある。彼女が心から聞いてくれていると思ったら、そういう気持ちで聞いていたんだと思って、ビックリした事があった。その後に、多分私はもう知りたくもないけど色々と掻き回された一連の出来事は、きっと深い誤解と言う溝を作ってしまっただろう。その後に、私が経験した絶望的な体験は語る事はないだろうけど。そういう心ない人が間に入って、大切なものを歪めてしまって行くという事が、きっとこの世界には多いのではないだろうか。
それが、個人のレベルで起きても悲劇だけど、それは起こる場所によっては、大きな戦争にだってなりかねないのだろうから。
とは言え、例え、もう会わないにしても、心の中では永遠に大切である人との間に、きっともうこういうルートを辿ってしまった以上、何を言っても無駄だろう修復できない大きな溝が出来てしまったとしても、もう全ての事を私は許している。
相手が例え私という人間を誤解していたとしても、愛とは与え続けるものだから。
こちらが、純粋にその人を含め、世界中の人に愛を送り続けて行こうと思う。
どんなに辛い経験も、そこに学びがあって、その辛い経験こそ、大きなプレゼントなんだと思う。
そう受け取る事で、辛い経験、許せないと思えるような怒りや哀しみなどの負の力が勝ってしまいそうな経験でも、喜びに変わる。
感謝できる。
全ては、必要だから起きている、その時の私に相応しい最高の経験なのだ。
きっと、そうやって愛と感謝の心を実践して行けば、きっとPEACEは夢の話じゃないと思う。
『イマジン』という歌は、ダライラマ法王をはじめ、仏教で言う思いやりの心、を含んでいるだろうと思う。
思いやりとは、想像力で、愛と感謝の気持ちが沸き起こる原動力になるものだ。
「むかつく!」とか言って、イライラした時、きっとそういう瞬間は社会に生きていたら沢山あるだろうけど、そんなとき、ちょっと想像してみたらいいと思う。
相手の事、自分に起こっている学びの事。そしたら、きっと、余計な憎しみを抱かずに生きて行けると思います。
私は何故か、希薄に思える人間関係の中でも、ふとした瞬間に心の深い部分のダークサイドを打ち明けられる事がある。それは、一瞬の出来事であったとしても、言葉で伝えられたからには、その人が相当にそれについてのフラストレーションにさいなまれているという事だろうと思う。
結局は、それを越えるのはその人自身の気づきにしかないし、その力はそれぞれの手の中にある。
だけど、それを聞いてしまった側としては、暫く考え観察する機会を与えられる事になる。だけど、それ以上の事は出来ないのだ。人が人を真に助ける事は出来ないと思っている。
自分を助けられるのは自分次第だからだ。
だけど、サポートする事は誰にでも出来る。そして、祈る事も。
だから、私は何も出来なくても、心から祈っている。
「あの人とあの人の間に、あたたかい光が流れ出しますように」と。
私は、決して「人の不幸は蜜の味」なんて思えない。人が不幸であれば私だって幸せとは言えないのだ。
それが、どんなに苦手な人であったって。
シンプルな事だ。
だけど、そのシンプルな事にどうしても手放しで感動できない人が多いのだろう。
自由に、心を解放したら、きっとシンプルな事程感動できると思う。
それは、とっても小さい気づきに感動できるという事なんだと思う。
そう言う事に気がついたら、世界は本当に奇跡に満ちあふれています。
そういうことは、きっと子供のころは知っていた瞬間が必ずあった筈だって思います。
そして、そういう感動が多ければ多い程、いつまでも若くキュートであれるのだろうと思います。
ヨーコさんも、ダライ・ラマ法王も、岡本太郎も、敏子さんも・・・ってあげていたたら沢山でてきちゃうけど、みんなキュートでキラキラ輝いて、光に満ちている。
それぞれが、自分の哲学や方法で、そうありたいですね。
簡単な事程、実はとても大切で、忘れられがちなのだ。
馬鹿にされるような事程、実はとても素晴しいのだ。
自分の深い部分で共鳴した事に、素直にYES!と言える勇気を持とう。
きっと、それはそのうち勇気を出さなくてもよくなる。
そうしたら、人生はぐっと広がり、近づいてきてくれる。
そして、なんて色彩豊かな美しい世界なののだろうか。
Aloha
love,
Ryoco