日曜日は、やまごんと鎌倉へ行ってとっても楽しかったので、そのことを書こうかと思っていたのだけど、それはまた今度落ち着いたら書こうかな。
今日、お仕事が3月いっぱいまでで終了になるというお話しを頂いた。
私がいまやっているお仕事は、派遣のようなもので、そう言われる日はいつ来てもおかしくないと思っていたけれど、やはり急な事なので少しだけ気持ちがいっぱいになってしまった。
何しろ、私は割と情熱任せにその時々を選択してきているところがあるから、貯金なんてない。だから、やっぱりお金の事を考えると少しだけ「どうしよう」という気分になってしまう。一人暮らしでもあるし。
でも、人生を情熱任せに選択してきているとは言うものの、格好いいものではなくって、かと言って最高にバカでもないかもしれない。どこか中途半端であったように思う。
その過程には、Makiの死や愛する恋人との別れなど、大きな出来事もあったりして、私はその悲しみにどっぷり負けてしまっていたから、それこそ生きて行くだけでいっぱいいっぱいで、その間に何かを創り出す力まで出なかったのかも知れない。
絵本『おつきさまののぞきあな』だけは、その中でも唯一、夢中になって創ったけれど。そうせずにはいられなかったと言った方が正しいだろうか。
これは、とっても下手くそな物語かも知れないけれど、どん底まで行って初めて、夢中になって最後まで書けたものだった。無条件で無目的という岡本太郎さんの言葉どおりの行動だったように思います。
だから、あれを書けたことのきっかけはとても悲しいことだったのだけれど、とても嬉しく思っているし、感謝しています。そして、愛する友人たちのおかげ様だと、心から思っています。
そして、私はどんなに悲しくどん底にいる時でも、仕事はしていた。そうせずにはいられなかったというのもあるだろうけど、人はどんなに悲しみに暮れていても身体は動かせるものだと思います。
その悲しみのどん底にいた時期、かつては、とても出来ないだろうなあと思っていたようなお仕事だって、何でもできた。その、実家に戻っていた数年間、一 般的に見たら「もったいない」とか、「無駄だ」とか言われるかも知れない時間だったかも知れないのだけれど、私はそんな自分自身について、そんなに悪くないなと 思っている。
確かに、スキルだ資格だとかが重視されている世の中なので、新しい仕事を見つけるにあたって、行く先々辛さは感じるけれど、それでも私は一回どん底に落ちたのはとても幸せな事だったと思っている。
だけど、まだまだそんなどん底は甘いなあ、とも思っている。
それを、ずっと考えてきている。
そうだからきっと、私は岡本太郎さんや母かの子さんの言葉に出会い、宇野千代さんや瀬戸内寂聴さんの言葉に出会っているのだろう。そして、仏陀の教えをとても素晴らしい方法で伝えているダライ・ラマ法王の本を始めとするチベット仏教との出会いもあるのだろうと思う。
だから、痛いくらいに分かっているつもりです。何が大切なのかという事は。
気がついているのだけれど、「不器用ですから」なんて卑怯な事を言って(確かに不器用ではあるけれど)迷っているのだ。なんて、格好悪いのでしょうね、私ったら。(笑)
人にはおかしいと思われるかも知れないが、私は、これは難しいと思われることには、自分の方から進んで、その難しい事柄の中へ這入って行く、そういう方法を身につけていた。 ー宇野千代ー
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとはそっちに進みたいんだ。
だから、そっちに進むべきだ。ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。 ー岡本太郎ー
私に足りないのは、覚悟を決めて決意する事と、行動する事なんだと思う。
私には、人からはバカだと思われるかもしれないような、うちに秘めた情熱がある。
年齢を増すごとに、人からよく、「なんでそんなに若いの?」とか言われるけれど(特に年下の人たちから)、そういう疑問を投げかけられたら、「あ〜、きっとバカだからだよ!」って答えています。(笑)
でもこれは、ほぼそのまんまだと思っています。
そういうバカなところがあるのだから、いっそのことバカになりきればいいのですよね。
私に足りないのは、そこなのだと思います。
私には情熱を傾けるものを持っていないなんて思ってしまっていたけど、それは“食べる事”前提に考えているからそう思うだけで、本当はあるのだなっていうのを、宇野千代さんや岡本太郎さんたちは気づかせてくれます。
『好きだと思うその気持ちに殉じればいい』という岡本太郎さんの言葉は、何も恋している人への気持ちだけに当てはまる事ではないのだと思う。
宇野千代さんがいい例だ。彼女は、男の人に恋をしなくなってからも、ずっと何かに恋をし続けた。それは、着物だったり、料理だったり色々だ。
自分が好きである事、その事に対して、する前から諦めるのではなくって「好きだ」というその気持ちだけでぶつかって行けばいいのですよね。
そんな、シンプルな事なのに、まっすぐ直視することをおそれていた。なんて、つまらない人間だったのだろう。
とは言え、未熟な私はまだあれこれとお金をもらうための仕事について悩んじゃう。
最低限の生活はできてないと駄目ですね。情熱を傾ける前に、死んじゃったら何も出来ないものね。
でも、これだけは言えます。
必要だから出会えた、数々の言葉との出会いを決して無駄にしない、恥じない生き方をしていきたい、と心から思っています。
好きな事に対して、無心になってぶつかっていけるということは、とても危険な道かも知れないけれど、この上ない歓喜なのだと思います。
宇野千代さんや、岡本太郎さんの、あの衰え知らずの明るさはどこからくるのだろう。
私は、その魅力のわけを知りたくって、めちゃくちゃに惹き付けられて行ったような気がする。
その大きな答えのひとつとして、“他人の目を全く気にしない”というところにあるのだと思う。人からどう思われようと、へっちゃら。それが生きる処世術なのですね。
とはいえ、二人とも、人一倍繊細で、孤独も恐怖も知っている。迷いもしてきた。だからこそ、身体のうちから、生き生きとした言葉が紡ぎ出されたのでしょう。
ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。 ー岡本太郎ー