悲しむべきニュースが相次いでいます。
私のよく知る場所でも2件発生しています。
この時代は、TVや、インターネット繋げば、様々な情報が瞬時に入ってきてしまいます。
そういったニュースを何気なく聞いているようで、その情報を手に入れた人々は、少なからず影響を受けている。
だからこそ、それを伝えるキャスターや、アナウンサー、コメンテーターという立場におられる方々は慎重になってほしいと思うし、情報を流す立場にいる方々にも、慎重になっていただきたいと願っています。
様々な状況の人が情報を手にしている。そして、人は無知であり煩悩を持っているものだから、その得た情報によってもたらされる影響を、上手くコントロール出来ない者だっているはずです。それも、沢山いる事でしょう。
怒りや過剰報道の結果がもたらす、大きな負の連鎖については、決して軽視できないはずです。これは、とっても大切な事なのに、軽視されている。罪人への批判には過剰なほど重要視するのに。
でもそれが人の性質ですね。
あなたが、悪い情報を受け取ったら、どうか過剰反応せず、悪意を持って批判はしませんように。かといって無関心もありませんように。
正しい目を持ち、怒りの心で判断するのではなく、あわれみの心を持てますように。
人々の心が、怒りや不快感に対し、あわれみの心で対処し、忍耐力を発揮出来ますように。
怒りや報復は、それと同じものを増長するだけ。怒りが、これ以上循環していきませんように。
一切の過失
種々さまざまな罪は
すべて縁の力によって生じたのであり
独立自存ではない
これらの集積した縁も
「[怒りや危害などを]生じさせよう」と念じていたわけでなく
縁から生じたものも
「私は生まれよう」という思いがあったわけではない
(シャーンティデーヴァ 『入菩提行論』より)
LOVE & MERCY
& HUMOUR
Ryoco
わたしは今日、とても気分がすぐれずにいました。おそらくRyocoさんがおっしゃっているのと同じ事件の、報道の仕方が原因なのです。ブログを読ませていただいて、やはり・・・とうなずきました。Ryocoさんなら何かを感じていらっしゃるだろうと思い当たっていたからです。
今朝もいつもどおりテレビのニュースをつけて、家族と朝食をとっていましたが、知りたくないのに例の報道、それも当事者たちの周囲を洗って、生い立ちや性格などを野次馬的に詮索するようなもの・・・。チャンネルを変えても、NHKでも。
こういう報道の仕方をするのには、なにか意味があるのですか。当事者の心理をああだこうだと詮索し性格を決めてかかることに、私たちの生きていく上での重要な価値があるのですか。こんなにわたしが負の影響を受けるのに、まっさらな子どもたちになにも影響がないはずがないのです。
知りたい人が何かの手段をつかって能動的に知れば済むと思います。だれでもが無条件に知ってしまうニュース番組などで、こういう事件を無神経に乱暴にあやつってほしくない。そんなに強い人ばかりじゃないです。
投稿情報: しずく | 2007/01/12 14:55
[いいですね] しずくさん、こんばんは。
コメント、ありがとうございます!
>こんなにわたしが負の影響を受けるのに、まっさらな子どもたちになにも影響がないはずがないのです。
私も、本当にそう思います。子どもたちには聞かせたくない言葉が溢れているのは、悲しいですね。
>当事者の心理をああだこうだと詮索し性格を決めてかかることに、私たちの生きていく上での重要な価値があるのですか。
そうですね。こういう報道は私もとても悲しいなあと思います。
それを見たり聞いたりした視聴者が、その報道におどらされることなく、ただ起きてしまったありのままの事実について、あわれみの心を持てればいいなあと思います。
でも、こういう報道が普通となっている世界では、なかなか人の心にとって大切な事が見えにくくなっていますよね。そんな全体を見渡すと、人の心にあわれみの心を…と望むのは難しいのだろうなあと思います。
ただ、人の心は繋がって行くものだと思っているんです。
慈悲の心も、始めは一部から発せられている小さなものだとしても、ゆくゆくは全体に伝わって行くのだと信じています。
少しずつでも人々の心の中に、こういう悲しい事件に出会ったり、ひどい報道を目にしても、憎しみなどの負の思いを起こすのではなく、あわれみの気持ちが沸きますように。
そう祈るとともに、私の心も成長させて行きたいと思っています。
思いやりのある温かい心を忘れずにいたいですね。
ありがとうございます!
投稿情報: Ryoco | 2007/01/12 23:48