岡本太郎が書いた岡本かの子について読むにつれ、あまりにも色々な部分が自分にもあることを感じ、胸がいっぱいになってしまう。気持ちがわかり過ぎて、読むのにとてもエネルギーがいる。
岡本太郎やかの子の姿勢は、私が考えていたこととも符合して、本当にこうして本としてだけれど出会えた事が嬉しい。
多摩川の近くにそびえる、岡本かの子文学碑を見に行った。
市民の往来が多いその場所に、ひっそりと優雅にそびえ立っていた。カップルや、親子や、近所の子供たちなどが来ては遊んでいるその様子がとてもよかった。
この文学碑は、“誇り”と名付けられている。
岡本かの子の愛した多摩川へも、行ってみた。
彼女が書いた『川』というお話は、とても純粋で美しく色あせることはない。
岡本太郎はかの子や一平が学んでいた仏教についても、宗教と言うひと枠で否定するような事を言っていたけれど、それは心底否定していたわけではないと思う。
かの子は芸術が大乗的であることを心掛けていたが、まさに太郎もそうだったのだと、私は思います。
それは、分かりづらいかも知れないけれど、頭で理解しなくてもきっと岡本太郎の作品に触れた人は感覚で体感しているのではないだろうかと思う。
芸術としての誇りを、公の場所を選ぶことで、そのまま大衆にぶつけて行くということ。そしてそれは、決して通俗になるわけではないということ。とても難しい挑戦ではあるけれど、それはとても素晴らしいと思う。
そして、これはいわゆる『芸術』と言われている、例えば絵や音楽や文学などのものがそうあるべきというわけれはなくって、この地球上に行きている全ての命の輝きがそうあるべきだと、太郎は訴えているのだろうと思う。
自分をひらき、開放し、普通と思われている固定概念を否定していくことで、他者とコミュニケートするということ。
かの子は、世の中に随分と冷たくされ誤解され苦しんできた。太郎は、かの子の死後、まるで掌をひるがえすように群がってくる人々を目の当たりにして、大きな憤りを感じた。
太郎の言葉が、胸を打ちます。
『だが生きている人間、悩み、戦い、たくましく生きつつある生身の人間に対しては、奇妙に威たけ高に侮辱し、傷つけて自分の立場を守ろうとする。生きている者にこそ、協力するべきだ。そしてともどもに、みなぎらせるべきであったものを』
この想いが、太郎の作品にも強く反映されているような気がします。そして、かの子が学んでいた大乗仏教哲学の精神は、太郎にも、その形を基礎として流れ ているように思う。芸術家として強く生きた太郎がそれを会得すると、こんなにもユニークに変容するのかと思うけれど、それは仏教を学んでいる視点や感覚か ら見ても間違っているものではなく、とても確かなものだと感じます。
その人間の可能性と生命力に、ただただ感動しました。
そしてそれは、我々がバトンタッチして行くべきものだと強く感じます。この地球に生きる、同じ人間として。
太郎は、かの子の芸術についてこうも言っている。
『傷ついて傷つかない魂にこそ、かの子芸術の本領がある。彼女の作品はあらゆる抵抗をのりこえて、豊麗に、野放図なおおらかさで咲き誇っている』
純粋な心が織りなす芸術というのは、決して俗世間のしがらみに暗く沈まないのだと思います。
濁っている池の中で、凛と浮かび上がって美しく咲き誇る蓮の花のように光り輝いている。
私は、自分の純粋すぎる面について、酷く悩む事がしばしばで、私の以前の恋人も太郎がかの子さんを心配するように、「世間でやって行けるのか?生き て行けるのか?」と思っていたようだけれど、その純粋さを失わず闘って行った、かの子さんや太郎さんにとても勇気づけられています。
これからも、生きる様々な側面で、岡本一家を心に思い描いて行くのだろうと感じています。
岡本太郎やかの子の姿勢は、私が考えていたこととも符合して、本当にこうして本としてだけれど出会えた事が嬉しい。
多摩川の近くにそびえる、岡本かの子文学碑を見に行った。
市民の往来が多いその場所に、ひっそりと優雅にそびえ立っていた。カップルや、親子や、近所の子供たちなどが来ては遊んでいるその様子がとてもよかった。
この文学碑は、“誇り”と名付けられている。
岡本かの子の愛した多摩川へも、行ってみた。
彼女が書いた『川』というお話は、とても純粋で美しく色あせることはない。
岡本太郎はかの子や一平が学んでいた仏教についても、宗教と言うひと枠で否定するような事を言っていたけれど、それは心底否定していたわけではないと思う。
かの子は芸術が大乗的であることを心掛けていたが、まさに太郎もそうだったのだと、私は思います。
それは、分かりづらいかも知れないけれど、頭で理解しなくてもきっと岡本太郎の作品に触れた人は感覚で体感しているのではないだろうかと思う。
芸術としての誇りを、公の場所を選ぶことで、そのまま大衆にぶつけて行くということ。そしてそれは、決して通俗になるわけではないということ。とても難しい挑戦ではあるけれど、それはとても素晴らしいと思う。
そして、これはいわゆる『芸術』と言われている、例えば絵や音楽や文学などのものがそうあるべきというわけれはなくって、この地球上に行きている全ての命の輝きがそうあるべきだと、太郎は訴えているのだろうと思う。
自分をひらき、開放し、普通と思われている固定概念を否定していくことで、他者とコミュニケートするということ。
かの子は、世の中に随分と冷たくされ誤解され苦しんできた。太郎は、かの子の死後、まるで掌をひるがえすように群がってくる人々を目の当たりにして、大きな憤りを感じた。
太郎の言葉が、胸を打ちます。
『だが生きている人間、悩み、戦い、たくましく生きつつある生身の人間に対しては、奇妙に威たけ高に侮辱し、傷つけて自分の立場を守ろうとする。生きている者にこそ、協力するべきだ。そしてともどもに、みなぎらせるべきであったものを』
この想いが、太郎の作品にも強く反映されているような気がします。そして、かの子が学んでいた大乗仏教哲学の精神は、太郎にも、その形を基礎として流れ ているように思う。芸術家として強く生きた太郎がそれを会得すると、こんなにもユニークに変容するのかと思うけれど、それは仏教を学んでいる視点や感覚か ら見ても間違っているものではなく、とても確かなものだと感じます。
その人間の可能性と生命力に、ただただ感動しました。
そしてそれは、我々がバトンタッチして行くべきものだと強く感じます。この地球に生きる、同じ人間として。
太郎は、かの子の芸術についてこうも言っている。
『傷ついて傷つかない魂にこそ、かの子芸術の本領がある。彼女の作品はあらゆる抵抗をのりこえて、豊麗に、野放図なおおらかさで咲き誇っている』
純粋な心が織りなす芸術というのは、決して俗世間のしがらみに暗く沈まないのだと思います。
濁っている池の中で、凛と浮かび上がって美しく咲き誇る蓮の花のように光り輝いている。
私は、自分の純粋すぎる面について、酷く悩む事がしばしばで、私の以前の恋人も太郎がかの子さんを心配するように、「世間でやって行けるのか?生き て行けるのか?」と思っていたようだけれど、その純粋さを失わず闘って行った、かの子さんや太郎さんにとても勇気づけられています。
これからも、生きる様々な側面で、岡本一家を心に思い描いて行くのだろうと感じています。
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