おからこんにゃくと根菜類でパスタを作り、ここ数日の痛風になりそうな食生活(といっても大した事ないかも知れないけれど!)にバランスをとってみたそんなヘルシーな週末を過ごしています。
こんばんは、涼子です。
今週は、さよならと、はじめましてがバタバタと押し寄せたそんな一週間でした。
さようならは、何だかとても淋しくって仕方ないって思っていたけれど、今はそんな風に思うのではなく、哀しみよりも喜びを感じる事ができるようになりました。
本当に心からの感謝の気持ちで「さようなら」に直面したら、ああ、「さようなら」って、「こんにちは」の入口だったんだって気がついたの。
出会いがあれば、必ず別れがあるのだけど、お別れと同時に、その関係性はまた新しく始まっているんだなあって。
例えば。それまでは離れてしまうなんて考えられないって思っていたのに、さようならって心から言えたら、その先にはその人と離れている事に何のこだわりも
持たなくなっていたり。それまではたゆたう心や、どう接したらいいのかとか色々悩んでいたのに、さようならって言ったら、その思いは何処かへ行ってしまって、にっこり笑ってすっきり会えるようになったり。大好きで大切な人も、もっと大切に思えたり...etc.
そんな風に、「さようなら」は、いつだって新しい関係性を喜びで抱きしめるチャンスなんだなって思ったの。
諸行無常と言うように、どんな素敵な関係性も同じ気持ちは続かないもの。想いにも、賞味期限があるのだけれど、食べ物と違うのは、想いは変化しながらずっとずっと繋げ、味わって行けるものだなって思うの。
「こんな想い」の賞味期限が過ぎたら、「あんな想い」が生まれ、それも味わい尽くして、賞味期限が過ぎたら「そんな想い」が生まれて・・・っていうように、生れ変わる想いにさようならする、その次の瞬間には、新しい気持ちを生んでいる。
そうやって考えていったら、ちょっと嬉しくなってきた。
私たちは、いつだって始まっている。
明日死んでしまうかも知れないというのは、誰にでも起こりうる否定出来ない事実で、そんな中で私たちはこうやって一緒に生きているのだから、くよくよしている暇はなかったのですね。
今、この瞬間は、二度と味わえないのだから。くよくよしているなんて勿体ない。
私たちは、毎日、はじまっている。この瞬間、いつでも新しい「時」に出会い、始まっている。
だから、そこに喜びを感じていかないと。
好きなものは好きなの!って喜びを膨らましてニッコリ笑い、好きな人への想いにもそのままの姿で殉じてニッコリ笑い、下手でも駄目でも、好きな事へ思いっきり飛び込んでやってみよう。きっとニッコリ笑っていられるね。
ずっと同じ場所にはいられない。いつでも飛び出していけるくらいじゃないと。歓喜に向かって。
溶けるほどにね。
その結果として、好きな事と溶け合えたら、本当に素敵だね。
さて。
東京の桜は咲いてるかな?
春は、満開の桜の花を見上げましょうね!
愛を込めて。
Ryoco
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