最近は、家ではテレビをつけない日もよくあるのだけど、昨夜は、テレビをつけたまま眠ってしまったようだ。
早朝に、目が覚めて、テレビを見ると、いきなり蟹さんの夫婦が向き合っている姿が画面いっぱいに映っていた。
ナレーションが、向き合って交尾中なのだと言っている。
そんな事を言うものだから、一気に目が覚めてしまい、蟹のあかちゃんの誕生を見届けずにはいられなくなった。
雄と別れた雌蟹は、孤独に穴にこもって産んだ卵を抱いている。
そして、満月の夜、同じように卵を抱いていた蟹たちが、無数に海に向かって走り出す。
透明できれいな海に向かって、大事にあたためてきた卵を放つ。
そのやり方が、何だか人間を見ているようで可笑しかった。
足を踏ん張って、振るい落とすようにして波に卵を託すのだ。
そうやってお母さんから離れた卵たちは、海の中で殻から出て、沖を目指すらしい。
もう、それだけで信じられない光景だった。
まだ、蟹の姿すらしていないのに、いきなり海の中で生きていかなければいけないのだから。
こんな風な命がけの局面は、人間にはない。
そして、小指よりも小さいくらいだけど、ようやく蟹の姿になってきた頃に、赤ちゃん蟹たちは、
一斉に陸を目指す。
陸から上がるときはまだ、海の中で生きる体の構造なんだけど、お母さんたちが住んでいる地域に戻る間に、
何度か殻を破って、地上で暮らす体になるそうだ。
遠く、クリスマス島では、そんな命の営みがあるんだなあ。
人間の目に見えない場所で、もう本当に様々な種類の生き物たちが、
そんな風に精一杯の命を輝かせているんだろうなあ。
人間は、確かに凄いことを沢山出来るし、他の生き物にはない特化した素晴らしい部分がある。
でも、この蟹さんたちにはかなわないなあ~という部分も沢山あるのだ。
本当に、地球は人間だけのものじゃない。
それぞれの生命が、みんな同じ地球の一部で、それぞれの宿命の中で必死に生きている。
だけど、人間は、その特化している部分を使えば、簡単に地球を壊すことが出来る。
そして、同じくらい一生懸命生きているはずに蟹さんにはできないのだ。止める方法もないし、
起きていることも知らないかもしれなだろう。感じることは出来るかもしれないけれど。
そんな風に、人間の行き過ぎた行動のせいで、地球が滅びたとしても、
その時がきたら、蟹さんたちはただそういう事だと受け入れて死んでいくのだろう。
そのほかの沢山の生き物たちも。
それは、あまりにも哀しすぎる。
こんなにも、美しい地球という生命体を、少しでも長く、この宇宙に輝かせていたい。
私たちの生命は、大きい目で見たら、みんなひとつ。
~のために、ではなくて、全員が、もっと大きな目で見る力を持たないといけない、ギリギリの時代なのだろうと思う。
自分たちの子孫のためにというのでは、足りない。
地球のために、というだけでも足りない。
そういうことより、もっと大きな目で自分たちを見ていかないと、いけないのだろうと思う。
そして、それは個人個人が必死に考えたり、感じたりしていかなければいけないし、
ちょっとでも気がついてきた個人は、どんどん行動していこうね、という時代なんだと思う。
その選択と行動が、今を生きることで、力となり、喜びとなると、私ははっきりと信じている。
表現方法は何だっていいはずだ。
答えは全部、自分の中にある。
どんな風に、今のような世界になったのか、見ることはできない。
人間が、水から生まれて、海から地上に上がってきて、地上を選んだという説がある。
そして、イルカやクジラが、同じように海から上がってきたのに、また海での生活を選択したこと。
その流れが本当でも違っていても、きっと、長い年月をかけて、短い命を繋いで、私たちは
選択し続けてきたのだろう。
だから、きっと、これからだって選択し続けていくことで、進化し続けられるのだろうと思う。
私たちのこの短い命を無駄にしないで、今この瞬間も迷いながらも悩みながらも選択し続けて行くことが、
そして、歓喜していくことが大切なんだなあと思う。
早朝の起きがけに、いきなり、遠い島に住んでいる蟹さんの生命の輝きを見て、そんなことを感じた。
眠いなあ、でも起きていようかなあ、でも身体がまだ疲れているから、寝ちゃおう!とか、
そんな選択ですら、大切。
選択していくことに、責任と歓びの両方の気持ちを持てれば、きっと世界は輝いてくるだろう。
aloha
love,
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