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とってもよく晴れた日曜日。
久しぶりに、自転車で遠出してみた。
・・・って言っても、目的地は思っていたよりも全然近くて、
思いっきり通り過ぎ、気がついたら明大前駅手前まで行ってしまった。
「こっちへ行ったら、全然違うだろうなあ〜」と感じつつも、
ちょっと知らない道を走りたかったのだろうなあ。
久々の、知らない道探検だったから。
そして何よりも、
ピカピカに晴れた空が、自転車で走る心を躍らせてくれた
住宅街を走り、井の頭通りを吉祥寺方面へと走らせると、
何故か、長野のおばあちゃんちのほうへ行ったかのような
田舎だなあ〜と言う雰囲気が漂ってくる。
都会なんだけど、
何だか、山に包まれているような、
ほっこりした雰囲気があるなあと思った。
途中に、この辺りに住んだら気持ちいいだろうなぁ〜
と思うような地域もあって、
とっても楽しかった。
東京は本当に面白い。
とても狭い所に、家がひしめいていて、
ほんのちょっと行っただけで、
ガラリと街の雰囲気が変わったりするのだから。
今日は、東京に再び恋をする日だったと思う。
そして、
「さて、そろそろ下北沢のあの店に行こう」
と思ったら、私の傍らにナビゲートさんが現われた。
正直、どっちに行ったらいいか分かっていなかったから、
迷子状態ではあったのだけど、
不思議と、直感で着ける気がしていた。
そう思っていたら、ひょっこりと、自転車の女の子が現われたのだった。
彼女は、「着いてきなさい!」と言わんばかりに、
狭い道をビューンビューンと飛ばし、
どんどん道を曲がるから、すぐに見えなくなっちゃうんだけど、
私も頑張って走りまくった。
かなり、スリリングな狭い道だった。
あんなに、華麗に私が走ることはないだろうなあと言うくらい、
惚れ惚れする走りだった。
そんな事を呑気に思いながらも、必死に追いつこうと急いで彼女の走った道を曲がると、
まだ少し先に、彼女の姿はあって、すでに次の角を曲がろうとしている。
そんな感じで、ギリギリのタイミングで何とかついて行った。
それはもう、「本当にこっちでいいのか?」と思う余地もなかった。
そして、ようやく下北沢商店街の看板が見えた所で、
す〜っと見失ってしまった。
ビンゴ!
人生って素晴らしい!
と、ちょっと嬉しくなった瞬間だった。
そして、その道をす〜っと行くと、
行きたかったカフェに着いたのだった。
初めていくのに、まるで知っている道のように着いてしまった。
そして・・・
長い間行ってみたかったけどきっかけがなかったそのカフェは・・・
最高だった。
こんなカフェが近くにあったら幸せだ・・・と、
心から思った。
このカフェ、何かのフリーペーパーの「BOOK'S LAND CAFE」
というコーナーに載っていて、そのフリーペーパーはすぐに捨てちゃったんだけど、
記事だけはずっととってあったのだった。
いつか、行ってみたいと思っていた。
何で気になったのかな・・・?
やっぱり、高橋恭司さんの写真が置いてあると書いてあったからかな〜
とにかく、行ってみたかった。
カレーを食べようかと思っていたのだけど、
パンのプレートがとっても魅力的だったから
コーヒーがついてるセットを注文した。
デジカメが壊れているから、写真は撮らなかったけど、
もの凄く素晴らしい盛りつけだった。
目も喜んでいるのが、自分でよく分かった。
そして、見た目に負けないくらい、とても幸せな味でした。
「そうそう!こういう味に出会いたくてもなかなか出会えなかったの!」
という感動があった。
パンの種類と、お肉と魚は、2種類ずつあって選べるようになっていた。
ほかには、温野菜、生野菜両方あって、たっぷり!
真ん中には、タマゴサラダ。
プレートを持ってきてくれたマスターが、
「ちょっと、肉が大きいかも」って指差して笑っていた。
なんて言うか、やっぱりお店は人だなあと思った。
その人が、味にも空気にも表れるんだなあって。
それはもう、入った瞬間から感じたことだった。
いい店って言うのは、そういうものなんだなあとしみじみ思った。
置いてある本も、自分のうちじゃないだろうかってくらい、
好きな本しか置いていなかった。
許されるならば、何時間でも座っていたかった。
流れているピアノの音も、とっても素敵で、心地よかった。
それから、植物も、とても可愛がられているのが伝わってきて
そういう小さな事が、全ていとおしいなあと思った。
食事が終ったら、さり気なく冷たいおしぼりをくれるって言うのも、
心遣いだなあって。
本棚の前に、人参の葉の部分だけが、ずらずら並んでいたんだけど、
これ、うちの母もキッチンでやっていたなあって、親近感が沸いた。
人参って、葉っぱがニョキニョキ出てきてかわいいの。
お会計の時に、「どうでしたか?」って聞いてくれたのも、
何だか嬉しかったなあ。
「凄く美味しかったです」とだけ言って、
心の中で「また来ます!」と呟いた。
そして、とっても幸せな気持ちで、
ビューンと井の頭通りに出た。
途中で、「あ!マルイチに寄っていける・・・」
と、いい事を思いつき、道を逸れてビューンとひとっ走り。
ちょうどあと数分で焼き上がるというタイミングで、
今日は、シナモンレーズンとブルーベリーを買ってきました。
マルイチのペーグルは、買いに行く事も含めて、
私の元気の源。
今日も、笑顔が素敵でした。
「いつもありがとう!」
と、心の中で呟いて、にこにこしながら帰宅。
今日幸せだったのは、
何も素敵なカフェに出会ったからではなくて、
色々と日々の点と点が繋がって、喜びにつがっているのだなあとしみじみ感じた。
その喜びがあるから、カフェに行ったのだろうし、
マルイチにも行けた。
ひとつの点とは、とても大変な状況で苦しんでいた
私の弟分が、素晴らしくきらきらと回復してきたこと。
まるで、雨ばかり降っていて、死にかけていた植物が、
一生懸命光合成がしたくて、太陽の光をもとめてもがいていた時に、
祈りが通じたみたいに太陽がひょっこりあらわれた。
それに感動した植物は、「ありがとう」って叫びながら、
むくむくと立ち上がろうとしているような、
まさにそんな生命力をつぶさに見てきたので、嬉しくて涙がこぼれた。
そんな中、私の中でも色々と
決意したことがあって。
それが、もうひとつの点てん。
その中の一つが、
“この東京で、これからしようとしている道を開いて行こう”という事だった。
これについては、ここのところ、ずっと悩んでいたのだけど、
信頼の出来る霊的力が開いている方に、
「(あなたが)拠点とするのは、沖縄とハワイはとってもいいね、
だけど、一番いいのは東京で開くことだね」と言われて、
すっとした。
私の中で、ハワイ島に住みたいというのがあったけど、
「やはり東京で生まれたのには、ここで見るべきことがあるからじゃないか」
というのがあったと思うから。
「ハワイには、行ったり来たりするといいよ」
って言われたのも、嬉しかった。
私は、どうやら沖縄とかハワイとか、とにかく島に深く前世からの縁があるそうで、
それは、自分でもなんとなく感じていたから、すんなり納得できた。
私の前世は、とにかく数えきれない程生まれかわっているそうで、
アジアだけでも、中東の方から、端は韓国まで、全部って言っていい程の地名があがってきた。
ヨーロッパ方面もたくさん生まれているそうだ。
もちろん、ハワイにも生まれていたよっておっしゃっていた。
「とにかく、あなたはいっぱい・・・少なくとも300回以上は、生まれかわってるからねえ・・・」
と言われて、「それって、何度生まれかわっても解脱できないバカなんじゃ・・・」
とは、怖くて聞けなかったけど(笑)。
ただ、少なくとも、幼い頃から、ずっと抱いてきた想いというか感覚みたいなものがあって、それは、
「私はまわりのお友達より沢山生きているような気がする」ということだったのだけど、
それをさらっと言ってくれたので、
ああ、見える人にはちゃんと見えるんだなと思って、
小さい頃から、人よりどうしても多くが見えてしまうことが、本当に辛かった事が沢山あったけど、
そういうもの全てを、すっと浄化して頂いた気がして嬉しかった。
そして、その短い間に、色々な事が確認できたことは、とても私にとって大きかった。
「こうなんじゃないだろうか」って自分だけで思っていた勘のようなものが、
概ねあっているのだというをひとつひとつ確認して行くことが出来た。
その方とお話ししていて思ったのは、
魂って言うのは、おぞましい事や、哀しいこと、怖いことは大概忘れる事が出来て、
思い出さなくてもいいことなのだという事だった。
そして、とても美しくて幸せだった記憶は何処かに、映像として残っているのだなあというのも、
強く感じた。
多分、私は前世で、様々な酷い経験もしているだろうと思う。
何しろ、何度も転生しているのだから。
でもそれは、それは過ぎてしまった過去なのだ。
その分、私は今生できらきらと輝かなければいけないのだ。
誰にとってもそうであるように、私にとってもそれが一番の課題なのだなあという事を
深い感動とともに感じる事ができた。
そして、涙がこぼれてきた。
私の中に見えていた、南の島のビジョンと、ギリシャの美しい高台にある建物の四角い窓、
とてもよく晴れていて、そこから広がる景色がとても好きだったという、そのビジョンを
まるで、今みているように何度も何度も思い出していた。
そういう事は、全て遠い記憶だったのだなあと思うと、
何だか、とても素直な気持ちになれた。
今まで、そのビジョンを見る時に、そこで感じていたものなのか、
熱い気持ちがこみ上げてきて、仕方がなかったのだけど、
今は、それをにっこりと笑って見つめることが出来る。
そして、過去に、殆ど世界じゅうで生まれていたのだなあ、というのが分かって、
幼い頃に、心が張り裂けるくらいに恋いこがれた、世界じゅうを冒険したいという想いについても理解できた。
あれは、それまで過ごしてきた土地への、強烈な郷愁だったのかもなあと思った。
そして、そういうことに思い至って、ようやくその執着から解放された気がした。
今生は、この東京でやっていこう、と言う煮え切らなかった思いに、迷いがなくなってきた。
確かに、かつてはそう思っていたけれど、
大人になって行くに従って、心が色々な色に染まり過ぎて、
澄んだ水の底が見えなくなっていたという事なのだろうと思う。
気になっていた、ハワイについてのビジョンについて、たずねてみたら、
ハワイで、私は男に生まれたこともあるし、躍ってもいたけど・・・
とにかく、色々とやっている人だったねえ・・・っておっしゃっていた。
いったい、何が見えているのかなあ。
でも、なんとなく分かる気がした。
今の自分を見ていると、よく分かるから。
それは、いい面もあるだろうし、悪い面もあるだろう。
その両方のバランスを取って、自分の力を宇宙に還元して行くことを、
繰り返される輪廻転生の中で、何度も迷ったり失敗しながら、
チェレンジし続けてている、
それが、私と言う魂なのじゃないだろうか。
そして、それは、もっと大きく言えば、
みんなそうなんだろうと思う。
私たちは、
もちろん、みんな個々違うけど、
大きく見たら、宇宙も全てひっくるめて、ひとつなんだろうと思う。
そして、人は、きちんと自分を見つめ、宇宙を見つめて生きていれば、
選択して行くこの人生で、その、選択する瞬間の自分の勘は、
もの凄い勢いであっているのだと思った。
それが、選んで行くことだろうと思うし、
瞬間瞬間が、選択の連続なのだろう。
それは、岡本太郎さんも言っていたっけ。
やっぱり、彼は精一杯生きに生きた、凄い人なのだなあと思う。
そして、本当に、瞬間瞬間を喜びで生きることが、
愛と感謝の気持ちで生きることが、
生命の全てなんだなあと思った。
宇宙全体で、そうあれるよう、
生涯をかけて、
祈り続けようと、
心に強く、決意した。
今、地球はいつ生命を失ってしまうかと言う
限界が見える所まできてしまったのだ。
私は、もしまた、転生するならば、
この地球に降りてきたいと思う。
そして、またみんなに出会いたいと思う。
だから、この宇宙のために
祈って行こうと思う。
きっと、地球の生命を失うことは、
宇宙にとってもとても悲しいことなんじゃないだろうか。
いずれやってくる、避けられないことだとしても。
ここに戻ってきたい魂、戻ってきた魂のために、
宇宙と一緒になって、祈り続けたい。
さて・・・ここで嬉しかった、面白い(?)お話をひとつ。
誰にでもついている守護霊のようなもの・・・がいますよね、
私には、なんと、かわいい女の子のエンジェルがついているらしいです。
天使がついているなんて、考えたこともなかったけど、
何故か、最近とても気になって、天使のカードを買ったのですが、それというのも、
ずっとずっと側にいてくれたエンジェルが、
「そろそろ気がついて!」って言っていたのかもしれないなあと思った。
そして、そのエンジェルは、私の七五三の写真にもとても綺麗に写っていた。
(何となく気になって、この前その写真を父に探してもらっていた。)
それが、何年も経った今、ようやく分かったって言うのも、
今が大きく変化する時期だという事なのかなあと思います。
虹が、これでもかっていうくらい沢山出てきた夢も然り。
とにかく、来年は大きく変化して行く時期だそうで、
体調とか、色々な面で落ち込むから、しっかり気をつけるようにという事でした。
それにしても、そういうスピリチュアルな話は、私にとってすっと入ってきちゃうので、
30分話せる時間はあるのに、15分くらいで聞くことがなくなってしまって、おかしかった。
感動して、満足してしまったのだから、時間の長さは関係ないだろうけど、それにしても早かったなあ。(笑)
今回、お話しさせて頂いて、
人間という生き物の、哀しさと、嬉しさが、
色々と私の中に、じんわりとゆっくり押し寄せてきて、
今まで出会った人たちに、改めて感謝の気持ちが沸き上がり、
愛の気持ちで満たされて、
祈りとともに、
「ありがとう」と「さようなら」をした。
奥から熱い涙が込み上げてきたけれど、
これが、浄化なんだなあと思った。
長い歴史の中で、
この地球上で、何度も別れては、出会ってきた、魂同士、
出会った瞬間に化学反応が始まって、たちまち愛になっていく、
自分ではどうすることも出来ない早さのなかで、
「また別れるのだ」という事を、魂の深いレベルで知っているのだ。
それが、涙となって、止めどもなく流れていた。
愛が深くなればなるほど。
うまく、説明できなかったその化学反応の全てについて、
今はとても明瞭に理解できる。
そして、とても切ない気持ちにはなるけど、
もうそれに押しつぶされることはないのだ。
今はもう、執着はないけれど、
残っている大きな愛に、涙がこぼれた。
長い時を越えて、少しずつ、本当に少しずつ
その魂同士でしか学べない課題をぶつけあっているのか
そう思うと、言いようのないくらい哀しみを感じるけれど、
一方で大きな喜びでもあることも確かだなあと思った。
そういう種類の愛を学ぶ魂同士は、出会った時に、
どうしようもない爆発を起こすのだなあと思った。
出会えた喜びと、別れることを知っている深い哀しみの
その両方が、再び愛を深めれば深める程、
濃くなっていく一方なのだ。
そして、それを、痛い程に確かに感じていたなあと
思い出して、少し胸が痛んだ。
そして、それが本当にきらきらした思い出になっているのを
確認できた喜びが、涙となってこぼれたのだろう。
そして、
これからまた訪れる、
新しい出会い、
そのひとつひとつを大切にしていこうと
ようやく、喜びで迎え入れる心が、
小さく花開いたような気がする。
それ以外の多くについても、
ここまで、とても苦しかったけど、
ひとつのスタートラインに立つための旅がひとつ、
ようやく、完了したなあと思う。
そして、新たにまた、長い長い旅に出る。
人はみんな、こんな風に、何度も旅をしているんだね。
そして、まだ見えていない大切なことも
これから出会って行くのだろう。
地球に生まれてきてよかった。
何度、絶望しても、
何度、恋をしても、
何度、病気をしても、
何度、さようならがあっても、
何度も何度も、この美しい地球に生まれかわってきたい
この世に、生命のぬくもりがあるうちは、
何度でも生まれかわって、
抱きしめていきたいと思う。
SAY ALOHA!!
愛する人たち、出会って別れた人たち、
見知らぬすれ違う人たち、
出会うことのない人たち、これから出会うだろう人たち、
すべての人たちに、
ALOHAの心を!
love,
Ryoco
昨日の午後、
何故か、背骨に重いものがのしかかったような気がして、
何度も自分で治そうとしてみるけれど、
どうにもこうにも身体が重くなるばかりで辛かった。
そして、夕方、その理由が分かった。
それは、愛する者の必死の叫びだったのだろう。
それから、とにかく全身全霊で
言葉を紡ぎ、祈りをそそぎこんだ。
そして、一秒も無駄に出来ない時間で
必死に伝えるべき所に助けを求めた。
私は、かつて経験し大切な人の死で、
人ひとりの存在が、この世から消えてしまう事
どんな風に宇宙に影響してくかを
叫びたい程の時間をかけて見てきたと思う
終わりが見えない深い暗闇は
きっと、地獄よりも苦しいはずだと思った
だからこそ、
今、その輝きが分かるのだと思う
死を持って、
人間の輝き、
生命の神秘を
教えてくれた愛する人
そんな彼女がいたからこそ
今の私の道があり、
今この瞬間の、そして、この先の役目があるのだと
本当に、そう感じている。
祈りの心は通じるものだなあと
本当に感じた
そんな二日間だった
そして、
まわりで起こる事全ては、
自分と無関係ではないのだという事が
本当によくわかった。
人は、助けている側も
助けられている側も、
相互に、助けられているのだと言う事
それがよく分かった。
そして、
どんな状況でも
感謝して行く事の尊さを
改めて感じた。
耳を澄ませば
そこら中に学びがあって
そして、感動がある
それは、大きさで感じ方が違うだけで
毎日起こっている事なのだ
そのどれもが欠かす事の出来ない
きらきらしたプレゼントなんだ
そういうことの
素晴らしさを
透明な水の底をみるように
汲み取る事が出来た
感謝
そして、愛
ALOHA
人間というのは
驚くほど幼くて、愚かだから
死の淵を見ながら
生きるべきなのだろう。
死を見ないで生きる時
人はまだ、真に生きていないのだろう。
苦しみに出会い
引き受ける事は
最高の感謝するべき事なのだ
死の淵をそこに見ると
生の輝きが
溢れるほどに見えてくる
改めて、それを感じた
人は、
忘れてはいけないなあ
生きる哀しみと喜びを
そして、
一番の薬だったのは
おおらかなユーモアだった
それはまるで、
魔法のようだった
その魔法の後
祈りの力が
ふわっと動いたように見えた
ユーモアには、そういう神秘の力がある
それから、
すべての人が繋がっていて
地球の裏側の事は
無関係ではなくいということを
はっきりと理解できた
あるとき、
その問題と
全く無関係な事がきっかけで
意外な事がはっきりと
見えて来る事がある
そんな感じだった
人間は、本来、
本来とてもチャーミングで
かわいい生き物なのではなかったか。
深刻になりすぎる事なく
どんなに深い考えにも
自由という
太陽にも負けない明るさがあったのではないだろうか
そういう
チャーミングな人間の姿を
垣間みた
沢山話していて、
何度も一緒にご飯を食べていて
毎日一緒に仕事の話をしていたって
コミュニケーション不足を感じざるを得ない
人々が多い今日
それをがらりと変えるポイントは、
想像力であり
思いやりであるという事を
忘れてはいけないなあと思った。
ずっとずっと
祈り続けていこう
自由な意思と
愛を
やわらかい身体に包み込み
出会う人、起こる事、
全てに感謝して
ほほえみを忘れずに
そして
そうあるならば
おのずと
ユーモアに溢れていくはずだ
光を見
祈り続けて行こう
アロハの心で
私たちは、皆
オハナ(家族)!
Mahalo
Ryoco