宇野千代さんは、私の大好きな人です。
憧れや尊敬もある反面、とても似ている部分が多分にあるからこんなにずっとずっと心に残る人なのだろうと思う。
この『宇野千代 女の一生』を読んで、さらにそう思いました。
私が特に、心から尊敬しているのは、一日も休まず机に向かって書き続けたという姿勢です。
人は、“これこそはという何か”が必要なのだと思う。最近よく聞く言葉で言ったら、“天職”というのがそれにあたるのかな。
宇野千代さんは、広くは作家として知られているけど、その他にも色々多彩になさってきた方です。着物のデザイナーもそのひとつでしょう。
でも、やっぱり宇野さんは、何よりも作家なのだと思います。それは、やっぱりその情熱にあるのだと思う。
ぱぱっと一気に書けない宇野さんは、一日数文字しか書けなくたって、机の前に座った。その、信念を持ってずっとずっと書き続けた姿勢を想像するだけで、尊敬すべき愛おしい人だなあと思う。
私は、少し前までは、感覚ばかり優先させて生きてきたような気がする。
論理的に考えるのは苦手だったし、重要だと思っていなかったし、そういうことに直面するのが怖かったような気もします。
最近は、哲学することが大切だって言うことを、ようやく理解出来てきている。というか、ようやくここにきて哲学する覚悟がおきてきたと言う事かも知れない。
そんな風に、色々吸収しようと思っている今という時期に、再度、宇野千代さんを見つめてみると、宇野さんも哲学していたのだなあっていう、以前はあまり見えなかった側面が見えてきます。
恋をして、好きなことをやって、苦しみすらもろともせず堂々と生きた宇野千代さん。その根本には、宇野千代流の哲学が確かにあったのだろうと思います。
ダライ・ラマ法王は、いつでも他の宗教を尊重しておられます。そして、人はそれぞれ自分にあった宗教の中で大切なことを吸収していくことが大切だとおっ しゃっている。結局、根本にある一番大切なことというのは、どの宗教だって同じであるから。法王は、冗談っぽく、50億の人がいたら、50億の宗教があっ たっていいくらいだっておっしゃっていたのだけど、それはとても深い話だなあと思い、強く心に残っています。
例えば、宇野千代さんのような人生がそれじゃないかなあと思うのです。
情熱と信念を持って、前向きな強い心で人生を哲学して行く。そして、そのご自分の人生を、迷いながらも夢中になって、いっさいがっさい責任を持って生きて行く。
そして、最後には、幸せだったなあと言いながら、安らかにあの世に逝かれた。彼女の人生は、まさに、ダライ・ラマ法王がおっしゃったような、自分にあった宗教を自分で導き出して実践していった人だと思うんです。
こんな風に、私の成長とともに、彼女からいつもいつも新しい何かが見えてきて、色々と教わっています。大切なことは、人や尊い教えから沢山教わるけど、 それを吸収し栄養としたら、次には自分の中で哲学して行き、全てのバランスを自らが責任を持って舵取りしていかなければいけないのですよね。
宇野千代さんの魂は、今でもこの世界に、鮮やかな色どりで息づいている。そんな気がします。
そして、後ろから優しく、時には笑われながら、そっと励ましてくれている気がしてならないのです。
この本によると、宇野千代さんのご命日は、(年は違うけど)ちょうど私の誕生日だそうです。そんなわけで、毎年、誕生日が来るたびに宇野千代さんを思い出すことでしょう。
ちょうど昨年、青山にもお墓をたれられたそうです。
今年は、その青山のお墓へお参りに行かせていただこうかなって思っています。
憧れや尊敬もある反面、とても似ている部分が多分にあるからこんなにずっとずっと心に残る人なのだろうと思う。
この『宇野千代 女の一生』を読んで、さらにそう思いました。
私が特に、心から尊敬しているのは、一日も休まず机に向かって書き続けたという姿勢です。
人は、“これこそはという何か”が必要なのだと思う。最近よく聞く言葉で言ったら、“天職”というのがそれにあたるのかな。
宇野千代さんは、広くは作家として知られているけど、その他にも色々多彩になさってきた方です。着物のデザイナーもそのひとつでしょう。
でも、やっぱり宇野さんは、何よりも作家なのだと思います。それは、やっぱりその情熱にあるのだと思う。
ぱぱっと一気に書けない宇野さんは、一日数文字しか書けなくたって、机の前に座った。その、信念を持ってずっとずっと書き続けた姿勢を想像するだけで、尊敬すべき愛おしい人だなあと思う。
私は、少し前までは、感覚ばかり優先させて生きてきたような気がする。
論理的に考えるのは苦手だったし、重要だと思っていなかったし、そういうことに直面するのが怖かったような気もします。
最近は、哲学することが大切だって言うことを、ようやく理解出来てきている。というか、ようやくここにきて哲学する覚悟がおきてきたと言う事かも知れない。
そんな風に、色々吸収しようと思っている今という時期に、再度、宇野千代さんを見つめてみると、宇野さんも哲学していたのだなあっていう、以前はあまり見えなかった側面が見えてきます。
恋をして、好きなことをやって、苦しみすらもろともせず堂々と生きた宇野千代さん。その根本には、宇野千代流の哲学が確かにあったのだろうと思います。
ダライ・ラマ法王は、いつでも他の宗教を尊重しておられます。そして、人はそれぞれ自分にあった宗教の中で大切なことを吸収していくことが大切だとおっ しゃっている。結局、根本にある一番大切なことというのは、どの宗教だって同じであるから。法王は、冗談っぽく、50億の人がいたら、50億の宗教があっ たっていいくらいだっておっしゃっていたのだけど、それはとても深い話だなあと思い、強く心に残っています。
例えば、宇野千代さんのような人生がそれじゃないかなあと思うのです。
情熱と信念を持って、前向きな強い心で人生を哲学して行く。そして、そのご自分の人生を、迷いながらも夢中になって、いっさいがっさい責任を持って生きて行く。
そして、最後には、幸せだったなあと言いながら、安らかにあの世に逝かれた。彼女の人生は、まさに、ダライ・ラマ法王がおっしゃったような、自分にあった宗教を自分で導き出して実践していった人だと思うんです。
こんな風に、私の成長とともに、彼女からいつもいつも新しい何かが見えてきて、色々と教わっています。大切なことは、人や尊い教えから沢山教わるけど、 それを吸収し栄養としたら、次には自分の中で哲学して行き、全てのバランスを自らが責任を持って舵取りしていかなければいけないのですよね。
宇野千代さんの魂は、今でもこの世界に、鮮やかな色どりで息づいている。そんな気がします。
そして、後ろから優しく、時には笑われながら、そっと励ましてくれている気がしてならないのです。
この本によると、宇野千代さんのご命日は、(年は違うけど)ちょうど私の誕生日だそうです。そんなわけで、毎年、誕生日が来るたびに宇野千代さんを思い出すことでしょう。
ちょうど昨年、青山にもお墓をたれられたそうです。
今年は、その青山のお墓へお参りに行かせていただこうかなって思っています。
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