大学生の頃、ほぼ都心の小さな町にあった私の部屋には、色々な人がやってきた。
多分、6畳あるかないかくらいの広さだったにもかかわらず、少なくとも10人はいたって時もあった。
今考えると、恐ろしい...
どうしてそんなに人が入ったのだろうか?何をしていたのだろう?(笑)
その全てを思い出すのはとても難しいことだ。
だって、時間は今よりもっとずっと沢山あって、時間に縛られる事なく遊んでいたのだから。
あんなに時間があるのに、足りないと思っていたのだから、若さってどうしようもなくエネルギーに溢れている。その溢れるエネルギーは、使い方によって、どんな方向へだって行く事が出来る。いい意味でも悪い意味でも。
でも、その中で色々な事を知って行ったのだろうなあと思う。色々な感覚や知識もそうだし、人間関係についても。
今みたいに、メールですませるなんて事は全くなかったから、会ってその膨大な時間を共有していた。嫌な関係になるにしても、いい関係になるにしても、やっぱり会って時間を共有する事って大切だなあと思う。身体全部を使って感じた事は、絶対に経験として残るものだ。無駄な事なんて一切ないと思う。
そう思っているから、嫌な思い出もあったけど、今はそれらを思い出しても全然嫌な気持ちにならない。
これは、不思議な事です。あの時は、どうしようもなく苦しんだ事だってあった筈なのに。
それれに、自分の部屋に人が沢山いるのは、あんまり抵抗はなかったように思う。
今ではちょっと考えられない事だけど!
でも、何かきっかけさえあれば、案外私は人と生活を共にするのは苦ではないかも。相手が、相手に求め過ぎたり神経質でない限り。わたしは結構神経質で、潔癖性だと思っていたけど、それは思い込みで、基本的には脳天気なのかもしれないと、最近、私以上に神経質な側面を友人に見た時に、ふと思ったりする。
Aアニキに「リョウコはのーてんき、のーてんき」と言われ続けた大学時代・・・何度もそれに抗っていたけれど、真実かもしれない。。。。と今更しみじみ思う。(笑)
それに、私の部屋にはいっぱい物はあったけど、私的には宝物だと思っているそれらは、人が盗みたいと思うようなものではなかったと思うので、一つの心残りを除けば特にそういう窃盗の類の問題もなかったと思う。
唯一の心残りは、私が中学生か高校生のときにもらった四つ切か六つ切りくらいのウィレム・デフォーの、凄く渋くてかっこいいポートレートに本人が私の名前を入れてサインしてくれたものが盗まれたことくらい・・ ・今でも時々思い出して哀しい気持ちになる。
そんな学生時代、みんなと話した色々なことで、その時もの凄くためになった話は、もしかしたらあっという間に私の人生において重要ではなくなっていって、するりと抜け落ちていってしまっているかもしれないと思う。
忘れてしまったことについては、再び浮上してくるまでは、まったく宇宙の片隅に無数に浮かんでいる塵と同じようなものだ。
だけど、その流れで買って、読んでも何だか難しくってすっかり放置して忘れていた本などが、今頃「おお!こんな本があったっけ!?」と、急にもの凄い勢いで読み始める事もあったりする。
生きていると、もの凄く後になって、思考の続きがあったりする事もあるものだなあと思う。
それは、まあ今回は置いといて。
そんな風に、意外とくだらないようなことのほうが、よく覚えていたりするのが私。
それらをあげて行ったらきりがないけど、今回書きたかったのは、確かこれはボスが連れてきた、私と同級生でもあった、ドイツでは結構人気があるらしいバンドの人で、読めないファンレターが送られてくるというS君が言った話だ。(そういえば、彼がせっかくくれたそのバンドのCDもなくなったような・・・というか、本人 が持ち帰ったのかしら?)
血液型の話で盛り上がっていたとき、本当なのか嘘なのか、本当に色々な話が飛び交った。その中で、
「O型の人は、《場所》にもの凄い恋をしたりする」
みたいな事を言っていた。最後の、「恋」に関しては、私なりの印象でそう受け取ったのだけど、とにかく、場所に対してもの凄く強い気持ち(執着)を持つのがO型という話らしかった。「恋」は「愛」と言ったほうが、よりしっくりくるかもしれない。
これは、もともと誰が言った話なのかは分からないけれど、これについて、色々な局面で思い出しては、もの凄く納得したりしていた。人によっては、本当に場所は場所でしかないという場合があるのだけれど、私は本当に場所に対する思い入れが強いと思う。
これが血液型の話で片付けられている、というのもなんだか凄い話だけど。
私は、本当に場所に対して、本気で恋をしていると思う。
人に恋をするみたいな感覚が、場所に対して凄くある。
もっと言ってしまえば、風や木や花にだって本気で恋をする。
おかしいかしら?
私は、今回、ハワイ島へ行ってまさにハワイ島という場所に、恋をした。
この先、私が一生のうちで行ってみたかったいくつかの国全てに行く事が出来なくなろうとも、私はハワイ島に行きたいと思っている。
帰ってくる飛行機の中のあの感覚は、まさに大好きな人と別れた後の感じだった。
今まで、これは愛だったなあと思う、その他の場所は、東京だ。
これは、生まれた場所であるからかもしれないけれど、これはとても強烈だった。
さらに、東京の場合は、細かく具体的な場所に対して、恋があり愛があると思う。
それは、生まれた時からそうだったと思う。
幼い頃の、東京へのこだわりは、今よりもっと凄かった。
母の実家の鹿児島に行った時なんて、それが顕著に出て大変だった。その感覚をはっきり覚えている。
きっとそんな気持ちがなければ、鹿児島はとてもいい田舎であっただろうに・・
多分、私はきっとこの東京という場所を選んで生まれてきたのだろうと思う。
そのくせ、自然や動物が大好きだったのだから、矛盾しまくっていたのだけど・・・
勝手に、想像するならば、私の前世はとても自然に囲まれて育って、都会に憧れていたとか・・・(笑)
その他に強く惹かれた場所をあげてみると・・・それは、やっぱり沖縄。
そして、何と言っても、ニューヨークだ。
どうしようもなく大好きだった。
色々旅行しているわけじゃないからあれですが・・・金沢も思い出すとちょっとキュンとする。
だけど、あれほど執着のあった東京やニューヨークなどの都会、今でもとても愛しているけれど、
それらを上回るくらい、今はハワイ島なのだった。
何でしょうねえ。
ハワイ島を愛してしまったから、住みたくて仕方ない。
ただ、自分の快楽のためだけに住みたいというわけではなく、都会の喧噪から逃げたいというのとも違う。
あそこには、私の一番大切に思っている愛に溢れていて、それに関するすばらし事が溢れている。
学んで得る物も、確実に沢山ある。自分が心から気持ちがいいと感じる事が出来たら、それを愛する人たちに惜しみなく還元して行き、助けになるのではないだろうかという気がしてならない。これは、あくまでも強い直感としてそう思うと言うレベルの話だけれど。
大げさな事ではなくて、私の根本には、(常にまずは愛する人から出発するのだけれども)他人の力になりたいという事が常にある。だから、ハワイ島に住んで学びたいと思ったというのは、ごく自然な欲求なのだと思う。
人が苦しんでいる状態は、とても私にとって辛い事でもあるから、私はそれに全力で助けになる事をしていきたいと、常に考えて生きている。
さて。
そんな、遠〜い過去に、ぽろりとS君がもらしたその何気ない一言に、長い間、心から納得しつつ、
「本当に私って典型的なO型かもしれない〜」
と思っている私って、これまた、O型ならではの大ざっぱな単純さなのかも・・・
どうかしら?O型の皆様!
よい週末を!
Aloha,
Ryoco
追記:
東京に戻ってきて、電磁波に囲まれて生活しているせいか、
疲れて殆ど眠ってしまっています・・・
そして、すっかり忘れていた、肩こりと頭痛が復活していた。
恐るべし。
文明の奴隷にならないように、せめて、そう言う事には抗って生きていこう。
こんばんは。かつてリョーコの部屋にしょっちゅう出入りしてた輩miyuです。場所や物にこだわるのは単に性格だと思うさ。凝り性ってやつ?リョーコが探究心で本を読みあさるとかも同じ現象な気がする。ウチの夫もそのレベルが同じく半端ない。
そういえば夫はO型ですね笑。
投稿情報: miyu | 2007/10/12 21:32
お、確か一番うちにいっぱいいた時に、miyuもいたよね?
凝り性かあ、確かにそうだなあ。
小さい頃から肩も凝ってしょうがないよ。
夢中になっていると、ごはんすらも、時間がなくて作れなくなるからなあ。(笑)
そだよね、旦那さんもO型だったよね。
やっぱ、何かあるのか・・・でも大方気のせいか。。。
ではでは、会えるの楽しみにしているよ〜
投稿情報: Ryoco | 2007/10/13 11:05