小田急線の代々木八幡駅には、野菜売りのおばあちゃんがいる。
早い時間にはいないんだけど、夕方頃から荷台をひいてやって来て、踏切を渡ったところで野菜を売り始めます。
荷台だけでも随分と重そうなのに、もの凄い量の野菜を運んで来てくれます。ちいさなおばあちゃんなのに、その力は一体何処からでてくるんだろう!?って、いつも思う。
おばあちゃんは、と〜ってもチャーミングで、立ち寄るお客さんが絶えない。手作りの、漬け物とかお味噌とかも売っている。お客さんは、おばあちゃんとひとことふたことお喋りするのを楽しんでいるように見える。
今日なんかは、美人で素敵なお姉さんと私は、おばあちゃんが、「つけもの一口分おまけ!」って言ったり、計算をするのにメモ帳を出して値段を反芻しながら数字を書き始めるのを見つめるたびに、二人で目配せをしながら笑いあったりして、とっても楽しかった。
こんな素敵な出会いもあるし、「今度いつくるの?」とか、つっけんどんにおばあちゃんとお話ししているようなおばちゃんとかにも、さり気ない愛情を感じてしまう。
背中の丸まった小さなおばあちゃんが、本当に厳しい寒さの中、元気いっぱいに野菜を売っているその様子を見ただけで、特に買う予定でもなかった野菜や漬け物を買ってしまう人も結構いるのではないだろうか。
なんだかね、おばあちゃんの周りに集まった人たちが、おばあちゃんを中心に、お互いをとても身近に感じたりしちゃうんですよね。不思議なんだけど。意外とみんな、そういう繋がりのきっかけがあればいいなって思っていたりするのかも知れないとか思ったり。
時々思うんですよ、この見慣れた風景もいつかはなくなっちゃうんだろうけど、そう思うととてもせつないなあって。おばあちゃんには、いつまでもこうやってチャーミングな声で野菜を売っていてほしいな。勝手だけど。
私は、東京は下町生まれで、小学校低学年まで下町の商店街とかをうろうろしていたから(その後、近県にお引っ越しをした)、こんな風に、知らない他人同
士が何気ない言葉を投げあうような街のふれあいって本当に大好き。そういう風景って、例えばNYのグリーンマーケットとかでも目にするのだけど、例え外国
であっても、そんな風景を見ると心から懐かしくなって嬉しくなる。
おばあちゃんの売っている野菜は一体何処で調達して来ているのか聞いてみたことないんだけど(聞きたくても、待っている人がいるからゆっくり聞く機会が
なくて)、とても元気がいい。大根も、スーパーで売っているような真っ白に洗われたものじゃなくって、根っこがちょびちょび出ている、もう本当に大根足っ
てこういうのをさしてるんだなていうような特大サイズ。今日売っていたきゅうりなんて、キュウリの頭にへたがついていてごつごつしている。あまりにも美味
しそうだったから、普段はあんまり買わないのについつい手が出てしまった。久々に、生のキュウリを丸ごと食べたけど、水っぽくて味のあまりしないキュウリ
と違って、本当にキュウリらしい味がして美味しかった。
小松菜も、スーパーのと全然違い、とてもしっかりしていて美味しい。もう本当に青々としている。そんなのが、た〜っぷり入って200円。一人暮らしで食べきれるのか?って思うほどの量だけど、美容にもいいので沢山食べよう。
私は、できるだけ毎日、お弁当を作ってるのだけど、朝からきんぴらごぼうを作るのが意外に好きだったりして、ごぼうは欠かさないようにしているんだけ
ど、おばあちゃんに「ごぼうもほしいな」って頼んだら、長〜いのを選んでくれた。そして一言、「これは150円ね!」と繰り返す。その、長〜い泥つきごぼ
うを袋からビヨ〜ンって出しながら、とても嬉しい気持ちになって家路につきました。
おばあちゃん、いつもいつもありがとう。
この街の人たちは、きっとみんな、おばあちゃんから沢山元気をもらっている。
時々、おばあちゃんのいない夜の代々木八幡は、なんだか物足りなく感じるよ。
この写真は、昨日の夕焼けです。
コメント