昨年の終わり頃から、私が出会い、手にする本たちは、生と死への強い探究心と、創造しようとする者としての苦しみ、また、それに伴う社会的な営みに関す
る苦しみからというのももちろん内包しているけれど、自分の中に渦巻いているものを言葉として表現している、またはそれについて様々な考察をしている人と
出会いたかったという事が大きかったと思う。ダライ・ラマ、岡本太郎に関連する本は、色々読んだ。
私は、学生の頃は読む本の大半が小説、またはそれに関する本だったというのは以前ここに書いたと思うのですが、今ももちろん小説は読んでいるのですが、圧倒的に哲学的なものが多くなっている気がしています。
どうやら、眠っていた脳のある部分が、思い出したように活動しているようです。
そして、数ヶ月前に一気に出現してしまった前髪の白い毛も、この際、そのせいにしようと思ったりし始めています。
私は、毎朝、私の愛する人たちをはじめ、世界中の人々の心に喜びがありますようにと、祈っているし、自分自身も、喜びを抱き一日を過ごそうと心掛けている。
だけど、人間というのは、もし幸せしか目の前に用意されていなかったら、なかなか真に学ぶ事を求めないのではないかなあと思う。
もっと言うと、人との違いについて、深く傷つき、深く感じ考えた経験こそが、人生に彩りと深みを与えてくれるのだと思う。そして、それが喜びに繋がっていくのだと思っている。
違いについて、深く考えた事のない人は、それについて深く傷ついた事がない幸せな人と言えるのだろうか?それは、多いに疑問だと思っているし、私は、幼い頃からそれについて考え、感じ、闘ってきている気がする。
自分の事は見事に棚に上げ、他人の欠点や(私からみると全く欠点と見えない場合が多いけど)、障害らしきもの、容姿、行動、様々な事に関しての、世間的
な違いをあげて、馬鹿にする人がいる。この場合、世間というのは、自分と重ねているのだろうけど、その全てが何とも滑稽に見える。(もちろん、そこに愛情
のあるユーモアが介在している場合は、また別の話だけれど。)
当然と言わんばかりに、同意を求められても、困っちゃう。
滑稽に見えるどころか、あまりにひどいと、怒りすら感じてしまう時があるのは、私の人間としての力量のなさだけれど、そこへの情熱が私を突き動かしてきているとも言える。
私に関して言えば、幼い頃から、世間とのズレを感じて生きてきた。特に、個性を伸ばす教育というよりは、“みんなと同じ”を暗黙の教育にしている日本
は、窮屈すぎたし孤独を感じた。私の思考は、何でこんなに早いのだろうと、誰に答えを求めていいか分からず苦しんでるなんて、理解してくれている母ですら
その大きさは感じ取れなかった事だろうと思う。そして、私は、今の子供たちの中には私のような子供もいるだろうと思っている。
きっと、子供らしい子供ではなかったのでしょう。大人ですら、発想が子供じみていると感じることが多く、それは深く絶望する共に、その事が私を本の世界へ誘った。
記憶に残るひどい大人は小学生の頃の先生だった。人間としてどう考えてもおかしかった。都内から、とある県に引っ越してきた私は、何故か特別扱いされ、
確かに少しは勉強が得意だったというのはあったかもしれないが、音楽の授業でフリーハンドで5線をひくのですら、大げさに褒めちぎり、黒板にお手本を何度
でも書かせた。体育の授業では、鉄棒登りが素晴らしいと褒めちぎり、皆の前で何度も鉄棒に登らせた。お陰で、脛が赤く晴れ上がってしまったのだった。
そう言いつつも、評価がいい加減だったのは、次のお話で明らかになる。冬休みに凧に絵を描いてくるという宿題があったとき、私は父の好きだったタンチョ
ウ鶴を描いた。今は絵などあまり描かないし、苦手意識すらあるけれど、その絵はもの凄く夢中になって描いたし、自分でいうのも何だけど、上手くかけてい
た。
先生は、いい絵には金、銀と賞をつけて行ったのだけれど、どう見ても上手とは言えない絵を選んでいた。だけど、それについて私は全く気にかけていなかったのだけれど、ある休み時間、クラスメートが先生に無邪気に質問をしているのが聞こえてきた。
「先生、この絵すごくきれいなのに、何で賞に選ばなかったの?」と、私の凧を指していた。先生がどう評価したのか聞いてみたかったので、そのままそっと
そば耳をたてていたら、「これは、大人に描いてもらったに決まっているじゃない〜。そんな絵は問題外よ〜」と来たものだから、その時の私のショックは想像
出来るでしょう。
確か、その後、たまらなく反論したような気がする。しかし、先生は決めつけてしまっていて、聞く耳が何処にも生えてなかった。
子供の能力を、ある一定のものと決めつけていて、子供はこうでなくてはという概念から逃れられない先生。あんなに長い間子供と接していて、違いの素晴らしさについて考える瞬間がない先生は、不幸だと思う。
その先生は、その後、もっと私を唖然とさせた。子供たちから貧乏と思われていたし、ちょっと仲間はずれにされている生徒がいたのだけど、その生徒に服な
どの施しをした事をわざわざ黒板の前に立たせて私たちに聞かせたのだ。先生は、弱い人にはこうやって手を差し伸べましょうと言いたかったのだろうし、まわ
りの子供たちは、ちょっと感動すらしているようだった。
しかし、私は先生の想像力のなさに、本気で目の前で起きている出来事を疑ったし、暗く重い気持ちで絶望するしかなかった。
実際に、この事は、施しと辱めを受けた本人と私くらいしか覚えていない思い出だろうと思う。幸い、その子は、とてもキラキラした明るい性格の持ち主で、
子供にありがちな、ふっと風向きが変わっていじめられなくなってからは、いじめていた子供たちに何の恨みも抱かずに、無邪気に遊んでいた。
小さい頃から、そういった差別的な態度に敏感で、強い憤りを感じたり、人との違いについて大いにやりづらいと思ってきた。人の目を気にしなくていいのだけど、そうさせてしまうような空気が日本の学校にはあると思う。
だから、早く大人になりたいと願っていた。それは、特に高校生までは変わらず強く思い続けていた気がする。
私は、今の先生とよばれる人たちをはじめ、親もそうだし、全ての大人が、まず、人との違いについて、何も批評しないことを願っている。子供たちは、大人をみて育っているのだから。
よっぽど敏感でない限り、その歪んた精神は、気づかれることのないまま、そのままそれは受け継がれて行く危険性があると思っている。現に、そのことに疑問を持たない大人が何と多いことか。
それは、なんてつまらないことだろうと、心の底から思うのだ。そして、勿体ないと思う。
人と違ってもいいのだということを、子供たちに伝えたいし、というか、いいんだなんて言う前に、違って当たり前なんじゃない?と言いたい。
傷ついている人には、違っていいんだと伝え、勘違いしている人には、あなただって障害者だのだよと伝えたい。
違いや障害あるから、私たちは生まれてきたのだと思うから。
そのことは、愛があれば必ず理解出来ると思っている。
だから、愛が一番大切だといいきっても私は何も後悔しない。
そして、愛は誰もが持っている筈のものだ。
身体的な病気だって、精神的な疾患だって、鬱病だって、他人と上手く話せなくたって、セクシャリティに問題があったって、容姿が悪くたって、貧乏だって・・・などなどのいわゆる世間的にマイナスと思われがちなその違いは、何も恥じるべき点はない。
反対に、上記のような世間的な欠点らしきものがなく、しあわせにみえるひとだって、それを鼻にかけてはいけない。
そんなの、鼻にかけていないと、みんな言うだろうと思う。
だけど、そう言いつつも、世間的にマイナスと思うようなことが不幸だと思っている人は、無意識のうちに、差別的な態度を取ってしまうのだ。哀しいことに。
それは、本当に恐ろしい事だと思う。
その無意識が、どれだけその対象にされる少数の人たちを影で傷つけているか。その間違った認識こそが、重度の障害であると気がつかない事は、既に当たり前になっている世の中だ。
これは、本当に、みんなが気がつき、変えて行かなければいけない事だと思う。
人の会話の多くが、批判だったりうわさ話だったりしないだろうか。
そんなことより、もっと語るべき面白い事が沢山あると思うし、それ以上に大切で難しい事は、他人の前でバカになれるかどうかという事なのだろうなあと思う。
その全ての点で、飛び抜けて素晴らしかったのが、岡本太郎なのだなあと思う。
どんなに難しい本を読んで、感動しても、岡本太郎の生き様を見ると、小さく見えてしまう事が多い。
きっと、彼は宇宙にとても近い人間(というかそのものかもしれない)だったと思うし、それと同時に、岡本太郎は、全人類と同じとも言えるのだなあって思えるところが、また凄い。
私は最近、書きたいのに書き出せないという苦しみを感じている。
頭では色々思い描くし、メモも随分しているが、書き出せないでいる。
別に作家として食べているわけじゃあるまいし、じゃあそんな事考えなければいいじゃんって思うでしょうが、それは私もそう思う。(笑)
だけど、書きたいと言うことは、ずっと思ってきている事で、それについて書けなくて苦しいなあと思う時期、時々、何故そんなに書く事について考え続けるのかしら?と悩んでしまう時もある。
そんなある日、茂木健一郎さんのクオリア日記と出会って、さらに、ここ最近はその魅力に取り付かれたように、過去のものまで読み込んでいる。音声ファイルなども、90分あるものがあったりするから、面白くて仕方ない。
その体験から、まさか、今の私の書く事の悩みについて答えを求めようとは少しも思っていなかったのに、不思議なもので、意識は常に繋がっているんだなあと思わずにはいられない本に出会った。
茂木さんの日記もまだ全部読み終えていないけれど、もっともっと彼の本を読みたいという、いつもの夢中になるととことんの性格で、本屋さんにいった。
脳に関する本が並んでいる棚をこんなにまじまじと眺めた事なかったなあと思いつつ、わくわくしながらも茂木さんの著書を探していた。
そんなとき、出会ったのが、この本だった。
これは、茂木さんが解説をしているのだけど、まさに少なからず私も悩んでいる事を、本当に面白い経路を辿り、冷静に、かつ愛と情熱を持って書き進めてある本だった。
茂木さんの日記を読む前から、脳については色々と関心があった。だから、茂木さんに辿り着いたのかもしれないけど、そのあたりはもう忘れてしまった。(笑)
普段はあまりつけないTVをつけた時にやっている番組も、脳に障害を持っている人や、小児がんと闘う子供、深い孤独と闘ってきている人、など、明らかに
目に見える障害がみえる人について考えさせられる事が本当に多くて、これは偶然じゃないのだろうなあと感じているのだけど、その中でやっぱり違いについて
苦しむ人たちについて深く考えさせられる事が多く、それを考えていくと、心や愛のこと、芸術の事、それらを考えていたら、哲学や宗教的や感覚の部分だけで
なくて、科学的な角度からも見てみたいと言う思いから、脳の事も考えるようになった。
それは、本当に思いつきでしかなかったけど、凄く素敵な出会いだったと思う。
茂木さんのお話は、本当に面白いし、考えさせられるし、感動するし、日々共鳴している。
そして、この『書きたがる脳』は本当に、私にとっては助けになる、出会いの本になるだろうと思う。
まだ、読んでいる途中だけど、そのなかに、
すべての精神的な仕事は傷んだ身体でなされる
と書いてあったのが印象的だった。(彼女の表現の素晴らしさで印象深いところは沢山あるのだけど、それはひとまずここでは書きません。)
ここで、この本について私なんかが簡単に色々語れないと思いつつ、共感出来たからそれをちょっとお話しすると、身体的な障害が、書く事に繋がるという事はとても理解出来る事だなあと思ったから。私自身が感じた身体的な苦しみから。
とは言え、この本を読んでいると、私の苦しみなんてまだまだ甘いと思ってしまう多くが見えてくる。
そう言えば、岡本太郎さんも、晩年はパーキンソン病にかかってしまった。しかし、全身全霊をかけて、一瞬一瞬を静かに爆発させていったその素晴らしい歓喜の代償が病気だったとしたら、それは不幸ではないと思う。
私は、自分の身体についてそんなに鈍感じゃないと思っているので、脳か神経系の何かが傷を負っていることは、最近の調子からも何となく感じている。
だけど、それは全て因果からきているのだなあと思っているから、受け入れないとって思っている。そして、その傷の中に書くということの意味みたいなものも含まれていると感じている。
そういう事を、この本は勇気づけてくれるだろうと思っていて、その点でも本当に希で素晴らしい本だと思っています。
闇を見つめる事が出来るから、
光が見える。
傷を負うから、
大切な事が見える。
人と違う性質について、偏見を抱かれたからこそ、
本当の喜びが見える。
何度でも言う。
その障害(世間一般的なマイナス要素)を、恥じてはいけない。
本当の意味の自由は、それに気がつかない遠く、
気がつけば、いつだってあなたの手のひらにある。
そのことは、これからも、何度でも言い続けよう。
今日の最後に。
これも、先日TVをつけたらちょうど始まった、サヴァン症候群のキム・ピークさん(映画『レインマン』のモデルとなった人)が講演で毎回言っているという言葉を。
これは、まさに私がずっと感じてきている事だったので、とても感動し、共鳴した。
人と違うことは悪いことじゃない
人はみんな違うものなんだ
—キム・ピーク—
ひとまず、まだ物語は始まっていないけど、
どんなに精神的、身体的に苦しくても
私は、自分との闘いに屈する気は
まだないようだ
そんな自分を受け入れよう
そして、苦しみと喜び、
物事の対極を見続けよう
その、ありのままで、
きらきらしている美しい宇宙を
見失わず、書き続けたい
うまれたての
あかちゃんをみよ
愛を込めて、
love & humour,
aloha,
Ryoco
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