パタゴニアのグリーンのコーデュロイパンツをはいていたら、
「きょうは、○○○ちゃん(私の本名)、みどりのひ?」
と突っ込まれた。
自分がみどりだからか、同じ発色のみどりいろを身に纏った人を、朝と夕方の2回見た。
二人とも、スカートで、お洒落さんで感じが似ていたけれど、見た場所はそれぞれバラバラ。
これは、割と毎日のようにそうなんだけど、私が歩く先に、同じ調子のテキスタイルがやたらと登場するって事がある。水玉ならば、その日一日は、水玉ばっかり出会う。それも、同じような水玉ばかり。
まただ!まただ!まただ!
ってな感じで、一瞬、流行ってるの?!って思うけど、次の日には、ぱったり見ないからもちろん流行ではない。
不思議でしょうがない。
さて。
夜の代々木公園は、公園の外を歩いているだけで、もの凄く木々のパワーを感じる。
2日続けて歩いてしまった。
歩きながら、心の中で公園の木々に話しかける。
木々は、静かに呼応してくれているような気がする。
暗闇は、木々の存在を、明るい時よりもはっきりと感じる事が出来る。
ひとりきりで、自然と向き合うとき、木々を通して、宇宙を感じる事が出来る。
急に、こうしてここに生きてる事が、不思議でたまらない気持ちになる。
と、同時に、この星にこうしていることは、とても希有なんだと感じる。
こういう感覚は、
子供の頃にも感じていた。
ひとりきりで、草花に囲まれながら、夢中になって遊んでいたとき、
感じる全ての生命の輪郭を、小さい身体でとらえていた。
風や、土の匂い、草花の匂い、人知れず働き続ける虫たち、
広がる空、太陽の傾斜
その全てが嬉しくて、むくむくと広がる素晴らしい世界に歓喜した。
植物は、
いつだって、ここにあって
光合成をしながら
私を助けてくれている。
人類の歴史は、
この地球の営みに比べたら
なんて短いのだろう
それなのに、
地球をいじくりまわして、
地球の生命を縮めている
地球は、折り返し地点に入ったと言う。
いったい、人類は
いつまで存在していられるのだろうか。
私たちが思っているよりずっと早く
私たちは消滅してしまうとも言われている。
それは、今生きている人が全ていなくなった後の
話かもしれないから、
本当はもっと真剣に取り組まなければいけない問題だけど、
なかなか先に進まないでいるのかもしれない。
危機感は、それが近くに来て初めてひしひしと感じるものなのだろう。
このままでいくと、
人類の消滅は、決して遠い未来ではないかもしれない。
人類は、既に晩年を迎えているのかもしれない。
もしそうだとしたら、
人類とは、なんてはかないのでしょう。
ふと、幼い頃、面白い時代に生まれて来れたなあと
しみじみ思った事があるのを思い出した。
色々な意味でわくわくするんだけど、何となく色々なせつなさもあって。
それは、晩年にいると、感覚で感じていたからだったのだろうか。
人類が滅びても、きっと木々は、もう少し長く
この地球を見つめ続ける事でしょう。
そしていずれ、木々が体験する、生命の終わりもあるのだなあ。
地球は、ビッグバンを反対に辿り、
やがて塵となる。
みどりたちと接していると
無常をとても感じる。
そこには、言葉もなければ、計算もなく、
ただただ、様々な因の結果である、生命の営みが
脈々と続けられているだけだ。
人間は、脳みそと心が発達して、
欲望の赴くままに、
足早に、地球の流れを変えて行った
その歴史の浅さに、
改めて驚かされる。
人間って、本当に凄いと思うし、
なんて愚かだなあとも思う。
私たちは、何をそんなに急いでいるのでしょうね。
これからは、ある欲望をどんどん捨てて行かなければ
人類の消滅は決して遠い話じゃないのだ。
出来る限りのことを生きている間にして行こう。
精一杯。
そのパワーをみどりたちにもらっている。
そうだ。
朝と昼に、
アゲハチョウが飛んでいた。
都会のなかで、ゆらゆらと。
近くには、とても美しい花が咲いていた。
よい週末を!
Ryoco
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