先日の、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、助産師・神谷整子さんだったのですが、そのもの凄いお仕事ぶりを見て、見ている間中、ず〜っと力が入ってしまった。そして、深く感動しました。
そして、本当に自分の仕事を愛されているのだなあというのが伝わってきた。
こういう時、それを見た人は、ただ感動するだけではいけないと思っている。そこから、感じるものがあったなら、そこだけにとどまらず、深く考えるべきなんだと思う。
そうじゃないと、その素晴らしい出会いはなんて勿体ないことでしょう。きちんと受け取って、その感動をエネルギーにして世の中に還元して行くことが大切なんじゃないでしょうか。
そんなことを思いながら、最近は、世間の色々なことに絶望を抱きつつも、なにくそ〜っていう情熱が、静かにむくむくと沸き上がってきていて、学ぶことが楽しくてしょうがない。
そんな中、ふと本屋で日本の美しい庭の写真が載っている本を見かけて、弟にどうだろうかとぺらぺらめくっていたちょうどその夜、弟から電話がかかってきた。
久しぶりだったので、色々と仕事の話も聞いていたのだけれど、ああ、ここにいたんじゃないか・・超プロフェッショナルが!と、つくづく感動してしまった。
今までもそうだったけど、やはり身内だから、どんなに凄いなあと思っても、まだまだ!と、厳しい目で見つめてきていた。
だけど、さすがに凄いなあ、これは少なくとも真似出来る人はなかなかいないだろうと思われる、立派な職人であり、実質上のりっぱな精神力を持つ経営者だと思った。
この夏、実家に帰った時に弟とちょっと話した時に、やっぱりそうとうな忙しさで、そんな忙しさの中で、要求以上の仕事をしている姿を見て、こりゃ生半可な気持ちじゃできないわって思ったし、やっぱりよっぽど仕事を好きじゃないとできないだろうと感じたので、「でも、そんなに苦しい状況でも仕事好き?」と、質問してみたら、即座に、「いやあ〜、楽しくてしょうがないねえ〜」と一点の迷いのない返事が返ってきて、密かにもの凄い感動したという事があった。
あんなに、身が滅びそうになるくらい仕事しているのに、「楽しくてしょうがないねえ〜」って心から言えるってことに、少なからずショックすら感じていた。身体も大きくなったが、いつから弟はこんなにでっかい人になっていたのだろうと、すでに私の実務経験上の想像の及ばない範疇にまで来ている気がする。
純朴で、真っすぐで、仕事に対しては、バカがつくくらい正直である。決して、頭だけで仕事をしていない。だから、庭師と言う専門に捕われることなく、施工はもちろんのこと、営業でも、クレーム処理でも、事務的なことも、従業員のしきりも、あらゆる人間関係の橋渡しも、全てやっている。
中でも、一番やっかいなクレーム処理で、仕事の内容的にも時間的にも神業的な結果を出して、逆に顧客に喜ばれて帰ってきちゃうんだから、他の業者に不思議がられるもの当たり前だろう。わざわざ、あまりにもビックリして、思わず電話で質問してくる他業者の人がいるくらいだと言う。
弟は、園芸や農業関係の学校で専門的なことを学んでいないのに、もの凄く専門的な知識と技術のいる仕事を選んだ。実は、そこに大きな強みがあったのかなあともう。
最大の弱点を背負って飛び込んだからこそ、それに負けない何かが必要だった。それが、仕事に対する情熱とか姿勢とかそう言うものだったのだろうと思う。
弟の中では、頭が良くないと言う気持ちもあるらしく、そういうものを抱えているだけに、情熱だけは誰にも負けないという気持ちで仕事を始めたのだと思う。それが、経験とともに薄まることなく、逆に膨らんできているのだから、本当に天職だったのだなあと思う。
そして、それは本当に、幸せなことだなあと思った。
だけど、弟の凄さは、通常は陰に隠れていて目に見えるものではない。人に相談出来ないくらいの大きなものを背負っている。その、大きな孤独の中、闘い続けているところが本当にプロフェッショナルな部分だと思った。どうか、このままその情熱を燃やし続けて行ってほしいと思う。
そんな中、ちょっと前までやっていた豪邸の庭を持つお家の奥さんが、心から弟の仕事ぶりに感動してそれを言葉や態度で十分にあらわして喜んでくれたそうで、奥さんがそこまで喜んでくれたことが、弟の今までの仕事の中で最高の喜びをもたらしたらしく、心から幸せそうだったので、私は誇らしいなあと思いました。
人生の必要な時に、ちゃんと自分を見てくれ、恵みの雨のような言葉をくれる人というのは、頑張っていれば必ずいるものです。そして、そんな時に降りそそいだ雨は、それはありのままの評価なのだと思います。
そういうのを、素直に喜べるのもひとつの才能なのかもしれない。
昔は、弟は若さという言葉で片付けられないくらい、とても繊細で、行き場のないエネルギーが爆発していて、手に負えないような時期があった。そんな中、何度も根気づよく励ましたこともあったけれど、そういうもの凄い時期を通ったからこそ、若い時期に自分の深層部への旅を嫌なくらいできたのだと思う。
だからこそ、今は、人のために生きて行けているのだなあと思う。
人の喜びが、心から自分の喜びと思えるようになって初めて、人は『越えられなかった見えない何か』を越えられるんじゃないかなあと思う。
もちろん、弟も日々反省し、学ぶことの繰り返しのようです。
私が、「でも、毎日四季の移ろいを感じられる職業って幸せな事だと思うなあ」って言ったら、「そうだよね、そうやって初心に戻ってみないとなあ」と言っていた。
いやあ。
私は弟にこんなに尊敬の念を抱く日が来るとは、正直思っていなかったかもしれない。
どんなに荒れていても、弟の奥にある強い芯と情熱があると感じていたから、信頼感はあったけれど。
過去に、生と死が常に隣り合わせのような危なさがあったからこその、現在の、プロフェッショナルだと思った。
そして、残念ながら、こういうプロフェッショナルに生きている人は、全体の一握りしかいないというのが現状であるかもしれないけれど、本来は、みんな適当なところで収まっていないで、生と死が分からないくらい本気で生きなければいけないのだ。
すべての人の中に、岡本太郎がいて、本気を出せばみんな岡本太郎になれる筈なんだ。
弟は、自分を『バカ(=勉強ができない)』と思う所から始まっている。だから、強いのかもしれない。
バカの壁は越えるものじゃなく、自分の栄養として平気で取り込んでしまうくらいのバカさが必要で、それが普通は難しいのだ。
火事場のくそ力くらいの瞬発力で、毎日を生きるということは、自分の中を空っぽにしないと出来ないことで、それは、バカみたいに見えるかもしれないけれど、人間と言う頭でっかちさんを、とても素晴らしい成長へと誘う大切な要素なのだなあと、弟の成長を見て感じた次第でありました。
それに比べて、私はなんて中途半端なんだ!もっともっと頑張らないと!と、叱咤激励しながら、毎日を無駄にしないで、静かに情熱を燃やして、爆発して行きたいと思います。
まあ、もっとも比べる事はしなくていいのだけれど。ただただ、学んで、ゼロでもないし100でもない、今ここから、臆せず始めていけばいい。いつも、産まれたての赤ちゃんみたいな目線が、人生には不可欠なのでしょう。
プロフェッショナルとは、そのまま、人間として生きるという姿勢ではないでしょうか。
だから、本来はだれもがプロフェッショナルであるべきなんですね。決して、特別なことじゃない。だから、他人のことだと思って感心している場合じゃないのだ。
そのことを、一緒に感じ、考えてくれたらと、私は真剣に思っている。
だから、もっともっと、民放も『プロフェッショナル 仕事の流儀』みたいな番組をやるべきだなあと思う。
あなたが今、手にしている一番確かなものは、「今」だけだということ。
不確かな可能性に甘えていたら、一生その可能性は見えないと思っていいでしょう。
可能性というのは、そのまま「今」自分を深く見つめたら、今もちゃんとここにあるなあと感じることが出来るものなのだという、厳しい現実をしっかり受け止めて生きて行こう。(逆に言えば、今感じないものは、未来にだってありはしないという覚悟が必要だということ)
もしくは、信じきる事でしょうね。今ここに見えていないけどちゃんとあるんだ!って。
ひとつの他人事と思われる事なく、少しでも個人個人の心に届いていき、共に生きるもの同士、臆せず、あーだこーだともっと自由に、素敵に、みっともなくたっていいから、爆発をしていけますように。
こうして生きている人間同士が、ぶつかりあって、化学反応をして行く事が、人生の醍醐味でしょう?
充実した秋を
love,
Ryoco