きょうは、さぼうるでさぼうる。
平日の昼間に街を歩くと、とても愛おしい気持ちが沸き上がってきて、胸がキュンとなってしまいます。
これは恋みたいなものかなぁ。
愛とか恋とか、変化とか空とか心とか…才能とか因果とか…色々なことを思い出しながら自分の心を観察して、これからの道について色々思いを巡らせたりしながら、ただただひたすらに、街を歩き倒してしまったそんな一日。
お腹が重かったのに、結構歩いたなあ〜。
途中で、さぼうるの近くを通ったので、ほっと一息、あったかいコーヒーを頂きました。
さぼうるは、いつ行ってもとっても好きな場所だなあ。オーナーさんがいなくて、少し残念でした。
さてさて。
とてもかわいいポストカードを見つけました。鳩居堂のシルクハガキですって。
素敵なポストカードを見つけると、誰かにお手紙が書きたくなります。でも、最近はすっかりメールですませちゃってますね。
直筆の文字で書かれたお手紙には、電子文字で書かれたメールでは伝えられない心があるような気がします。
同じお店に、手ぬぐいも沢山売っていて、定番のかまわぬの手ぬぐいに心を奪われていたけれど、これはまた今度ゆっくりお店に行って選ぶことにしよう。
手ぬぐいが好きなのと、着物が好きなのには、共通の理由があるような気がします。
私はきっと、テキスタイルが無性に好きなんですよね。布屋さんも大好き。
お花屋さんの前を通ったので、チューリップを買って帰ることにしました。
ピンクダイヤモンドっていう名前のチューリップ。
このピンクダイヤモンド、昨年初めて、新橋の地下のお花屋さんで出会ったの。
…って、よく覚えていますよね、そんな事。何故か、その時の気持ちを、鮮明に覚えているんですよ。
心は、視覚とか臭覚とか…色々な五感と結びついていて、色濃く記憶に残るものですね。でも人にはそういった感覚があるから、執着を持たずにはいられないのだそうです。
執着心を捨て去るのって、色々な意味で本当に難しい。執着心には本当に色々な形があります。いいもわるいも、執着心である限りは平等に捨て去るべきもので、捨てられないと人は苦しみます。それでも、人はなかなかそれをやめられないものですね。
植物には心がないっていうけど、本当かな。
心がないかどうかは分からないけど、植物は、私たちに対して、残酷なまでに正直で、だからこそ、じっと観察したり育てて行くと大切なことが見えてくるのだと思います。
私は、庭には宇宙があると思っていると、前にこのブログでも書いたことがありますが、チベット仏教に関する本と読んでいると、庭のことをよく思います。どこか、共通する真理みたいなものがそこにあるような気がしているんです。庭は、自然と置き換えてもいいかも知れない。
ところで、突然話が飛びますが。
花のつぼみって、なんだか合掌している手みたいですね。
特に、チューリップのつぼみはとってもチャーミング。
バラはとっても好きなので、しょっちゅう飾っているけれど、新芽が出たのは初めて。
バラを買ってくると、水揚げをするのだけど、その際に、花の負担を減らすために、余分な葉っぱは出来る限り切り落としています。だけど、このバラは生命力がありあまっていたんだろうなあ〜。
面白いので、このままもう少し様子を見てみようかなって思っています。
さてさて。
きょうはこんなさぼうるな一日でしたよ。
さぼうるの本当の理由?それは…“厄払い”でした。(I am honest.)
問い合わせしたら、土日はちょっと難しいって言われちゃったから、おしごとさぼうるになっちゃったの。
今年で32歳になるんですって、私。(I am honest.)
あー。おばちゃんって言いたいんでしょ〜?