いよいよ、ハワイ島のブログを書き始めました。
別のブログを使っています。
更新情報は、このVox内でもお伝えしてきますので、よかったら、読んで頂けると幸いです。
【ハワイ島ブログ更新】
『はじめに。 -スケジュールとソラ』
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いよいよ、ハワイ島のブログを書き始めました。
別のブログを使っています。
更新情報は、このVox内でもお伝えしてきますので、よかったら、読んで頂けると幸いです。
【ハワイ島ブログ更新】
『はじめに。 -スケジュールとソラ』
大抵のオフィスにはコンピューターがいっぱいあるだろうと思います。
ハワイ島ではすっかり頭痛が解消されていたのに、帰ってきて暫くて、オフィスにいるあいだは、もう頭痛とかが凄い!家ではそんな沢山の電化製品があるわけじゃないから、酷くはならないし、痛みも消える。
これは、よそうでしかありませんが・・・おそらく、電磁波のせいだとおもわれます。
恐るべし。電磁波!
そうじゃないならば、悪い気が集まっているという事だ。悪い気が多くの人から出ているとか。。。そんなところかしら。
帰ってきて、植物たちに会うと、本当にほっとする。
風邪ひきさんが、かなり多い今日この頃。
そこのあなたも、あたたかくしておやすみくださいませ!
Aloha
よい夜を。
Ryoco
座間味会と称していた会(私が勝手に言ってるのだけれど・・)も、せっかく沖縄出身のナギサちゃんもいることだし、地域を広げ、沖縄座間味会とすることにしました。って、誰に宣言しているのか分からない発言だ。
今日は、miyuが妊婦になって初めて会うとあって、とってもドキドキしていた。
白いワンピースを着て、いつものジーンズ姿で現われたmiyuは、とってもお洒落な妊婦だった。今まで履いていたジーパンが履けるベルトがあるなんて、目から鱗だったわ!
そして、なんて言うか、とても健やかな顔をしていて、辛い辛いつわりを経てきたとは想像できない程ビューティフルだった。前よりずっと優しい顔になっていて、おかあさんな顔だった。
ナギサちゃんと、代わる代わるお腹を触ってみる。
不思議だなあ〜。この前まではいなかった命がいるのだ。
そして、ちょっと大きなお腹にどきどきしながら、混み合っている中華街を歩き、
飲茶のお店へ。
とても美味しいお店で幸せでした。
個室にいたお客さんが、いきなり変な歌(山田邦子さんが昔、ひょうきん族で絵描き歌の時に歌っていた曲だと思う)を皆で歌い出して、可笑しすぎた。笑う私と目が合った店員さんが、「すみませんね〜」と言っていたのも、可笑しかった。
miyuの妊婦生活や、A兄さんと、ナギサちゃんの旅行話、私のハワイ島話をしながら、
何だかやっぱり、miyuの中にひとつ命があるのが新鮮すぎるせいか、
今までとなんかが違うぞ!っていう感じがして面白かった。
そうそう。miyuの旦那さんが、昔私がマルイチベーグルをお土産でmiyuに持たせたお礼と言って、
素敵なコーヒーを入れるカンカンをプレゼントしてくれた。
なんて律儀な・・・感激です。
実は昔、豆を入れる用のカンカンを探していたのだけど、意外といい感じのがなくって、
それ以来すっかり諦めていたのだけど、いただいたカンカンは、
ここら辺じゃ売っていない感じのとても素敵なカンカンで、凄く嬉しかった。
ありがとう!
お腹がいっぱいになりつつ、
またお店に入って、今度はお茶とスイーツ。
コーヒーもパウンドケーキも美味しかった。
ここでは、A兄さんの撮った旅行写真を見せてもらったのだけれど、
これが凄くビューティフルな写真で、「素敵〜プロが撮ったみたい〜」
と、わいわい言いながら拝見した。(注※兄さんはプロ)
そして、ナギサちゃんがこれまた美しいこと!
思わず、このショットが最高!とか思いながら、テンションがあがってしまった。
私は、もはや、おやじなのだろうか・・・
写真から、幸せな空気が滲み出ていて、こっちまで幸せになった。
こんなに素敵な写真が撮れるのか・・・と感動し、
旅はいい写真を撮るのが目的ではないと言っていた私ですが、
すっかり改めて、写真を勉強しようと思ったのでした。(すぐに影響される私です)
そして、一番盛り上がったのは、
あかちゃんの名前決め!
これは、ホント、楽しいよねえ。
楽しすぎる。
知っている珍しい名前とかも、それぞれ出てきたりして、
名前にまつわる話題は一通りしたんじゃないかって言うくらい話した。
最後には何故か、ピポポ(私の別名)で纏まっていたけれど、
いい名前が決まるといいね!
miyuは“ハイジ”がちょっと気に入っていたようだけど、どうなることやら。
楽しみだ〜。
あっという間に、時間は過ぎて、
お別れの時間。
横浜の駅で、miyuのお腹を触って、あかちゃんともお別れの挨拶をした。
ああ、やっぱり不思議だなあ〜
命って。
それから、
みんなの勧めで、私は湘南新宿ラインとやらに乗って、
旅の話をしたりしながら帰ってきた。
あっという間に新宿に着いちゃたので、びっくり。
寒さが苦手なかわいいナギサちゃんの笑顔と、幸せな笑顔のAアニキに見送られ、
お別れした。
バイバーイ!また会おうねん♪
今日は何だか、プチ旅行したような気分になった一日だった。
さて、大好きな人たちとも会った事だし、
そろそろ、ハワイ島旅行の事を書き始めるとしましょうか。
それにしても、ナギサちゃんと会ったら、
沖縄も久々に行ってみたいなあ〜としみじみ懐かしく思った。
miyuのあかちゃんも、どうか健やかに生まれてきてね。
会えるのを心待ちにしております。
みなさんも、よい夜を〜!
Ryoco
大好きな友人に立て続けに会うと言う幸せだった日。
少し肌寒くなってきた東京を、自転車で駆け抜けた。
クミちゃんは、いつも自転車でやってくる。
ファイヤーキングカフェで待ち合わせをして、インドネシア・ランチ。美味しかった。
何だか、ハワイ島話を随分した気がする。そう言えば、これが人にちゃんとお話しした最初のような気がする。
コーヒーも頼まず、水だけでお話し通してしまった。
それから、二人で代々木公園へビューン。
サイクリングコースを走ったのだけど、気持ちがいい!最高だった!
木々の中を走るって、本当に幸せだ。特に、こういう長い間生きてきた木々の中を走る時は。
そして、クミちゃんが、夏に来た時にいたと言うクワガタの幼虫のその後を確認に行ったけど、いなかった。
近くに、公園内で、散髪してもらっている人がいた。
私も、実はその昔、同じマンションの同じ階に住んでいて仲良くなったY君に、代々木公園で切ってもらった事あったなあ。撮影もした。
Y君はとても腕のいい美容師で、当時はお世話になったけれど、今は所在を知らない。お元気かな〜。
木の曲線で、牛のお乳みたいなのが沢山ぶら下がっているような形の木があったのだけど、あれはどうしてああなってしまったのだろう・・・木の博士がいたら教えてもらいたい。
それから、一旦家に帰ったら、とっても嬉しいメールが2件来ていて、元気になる。
そして、今度は東新宿までビューン。
20分くらいでついた。伊勢丹の辺りを抜けるのが結構大変だった。
都会を走り慣れしている人たちにイラっとされたことであろうけれど、彼らの後をついて行くと、いい感じで車の間を抜けられた。
そして、やまごんとほぼ同じ時間についたようで、再会を喜び、タイ料理屋さんへ。
ゆかりはお仕事忙しくって来れず、残念!
いやあ、何を話したのか、多すぎて思い出せない。ハワイ島の話もしたけれど、それ以上にやまごんの話が沢山あったし、お互いよく喋ったな〜〜。本当に。
そして、Makiの命日だった。
7年なんて、過ぎてしまえば、あっという間だった。
本当に苦しくて、色々な事を考え、感じ、経験したけれど、過ぎてしまった日々は、
透明なふたが優しくうっすらとかぶさって行くようで、心から執着や苦しみは、
時とともに浄化されて行くようだった。
そんな風になるとは、苦しみの時は、思えなかった。一生哀しみが続くかと思った。
こうやって、うっすら透明な蓋がかぶさっていくことで、人は死なずに生きて行けるのかもしれないと思う。
ハワイの先住民は、とても短い間に、沢山の命が失われたと言う。
そうやって、家族の命が失われて行く中、残された者たちは、
哀しみのあまり鬱になったりして、さらに多くの命がたたれてしまったそうだ。
ハワイ島で、そんな哀しいお話を聞いたけれど、
その中でもわずかな命が、深い哀しみを背負って、強く生き抜いた事も忘れてはいけないと思う。
そして、この数年で、本当に沢山の命が周りで生まれているねえと、そういう話もした。
何故か、私たちには出来ないけど・・・とか言いながら!(笑)
去る命があり、生まれてくる命があり、そういうのを目の当たりにしながら、生きて行くのだ。
そして、私たちも、いつかは死を迎える。
でも、それは大きな生のひとつの点でしかないのだろう。
きっと、肉体がない時代を経て、またこの世界に降りてくるのだろう。
その時に、この地球がどうなっているのか、誰にも分からない。
私は、やっぱりこの地球を愛しているから、
生きている間に、精一杯、出来るだけの事はしてきたいと思っている。
Aloha,
Ryoco
大学生の頃、ほぼ都心の小さな町にあった私の部屋には、色々な人がやってきた。
多分、6畳あるかないかくらいの広さだったにもかかわらず、少なくとも10人はいたって時もあった。
今考えると、恐ろしい...
どうしてそんなに人が入ったのだろうか?何をしていたのだろう?(笑)
その全てを思い出すのはとても難しいことだ。
だって、時間は今よりもっとずっと沢山あって、時間に縛られる事なく遊んでいたのだから。
あんなに時間があるのに、足りないと思っていたのだから、若さってどうしようもなくエネルギーに溢れている。その溢れるエネルギーは、使い方によって、どんな方向へだって行く事が出来る。いい意味でも悪い意味でも。
でも、その中で色々な事を知って行ったのだろうなあと思う。色々な感覚や知識もそうだし、人間関係についても。
今みたいに、メールですませるなんて事は全くなかったから、会ってその膨大な時間を共有していた。嫌な関係になるにしても、いい関係になるにしても、やっぱり会って時間を共有する事って大切だなあと思う。身体全部を使って感じた事は、絶対に経験として残るものだ。無駄な事なんて一切ないと思う。
そう思っているから、嫌な思い出もあったけど、今はそれらを思い出しても全然嫌な気持ちにならない。
これは、不思議な事です。あの時は、どうしようもなく苦しんだ事だってあった筈なのに。
それれに、自分の部屋に人が沢山いるのは、あんまり抵抗はなかったように思う。
今ではちょっと考えられない事だけど!
でも、何かきっかけさえあれば、案外私は人と生活を共にするのは苦ではないかも。相手が、相手に求め過ぎたり神経質でない限り。わたしは結構神経質で、潔癖性だと思っていたけど、それは思い込みで、基本的には脳天気なのかもしれないと、最近、私以上に神経質な側面を友人に見た時に、ふと思ったりする。
Aアニキに「リョウコはのーてんき、のーてんき」と言われ続けた大学時代・・・何度もそれに抗っていたけれど、真実かもしれない。。。。と今更しみじみ思う。(笑)
それに、私の部屋にはいっぱい物はあったけど、私的には宝物だと思っているそれらは、人が盗みたいと思うようなものではなかったと思うので、一つの心残りを除けば特にそういう窃盗の類の問題もなかったと思う。
唯一の心残りは、私が中学生か高校生のときにもらった四つ切か六つ切りくらいのウィレム・デフォーの、凄く渋くてかっこいいポートレートに本人が私の名前を入れてサインしてくれたものが盗まれたことくらい・・ ・今でも時々思い出して哀しい気持ちになる。
そんな学生時代、みんなと話した色々なことで、その時もの凄くためになった話は、もしかしたらあっという間に私の人生において重要ではなくなっていって、するりと抜け落ちていってしまっているかもしれないと思う。
忘れてしまったことについては、再び浮上してくるまでは、まったく宇宙の片隅に無数に浮かんでいる塵と同じようなものだ。
だけど、その流れで買って、読んでも何だか難しくってすっかり放置して忘れていた本などが、今頃「おお!こんな本があったっけ!?」と、急にもの凄い勢いで読み始める事もあったりする。
生きていると、もの凄く後になって、思考の続きがあったりする事もあるものだなあと思う。
それは、まあ今回は置いといて。
そんな風に、意外とくだらないようなことのほうが、よく覚えていたりするのが私。
それらをあげて行ったらきりがないけど、今回書きたかったのは、確かこれはボスが連れてきた、私と同級生でもあった、ドイツでは結構人気があるらしいバンドの人で、読めないファンレターが送られてくるというS君が言った話だ。(そういえば、彼がせっかくくれたそのバンドのCDもなくなったような・・・というか、本人 が持ち帰ったのかしら?)
血液型の話で盛り上がっていたとき、本当なのか嘘なのか、本当に色々な話が飛び交った。その中で、
「O型の人は、《場所》にもの凄い恋をしたりする」
みたいな事を言っていた。最後の、「恋」に関しては、私なりの印象でそう受け取ったのだけど、とにかく、場所に対してもの凄く強い気持ち(執着)を持つのがO型という話らしかった。「恋」は「愛」と言ったほうが、よりしっくりくるかもしれない。
これは、もともと誰が言った話なのかは分からないけれど、これについて、色々な局面で思い出しては、もの凄く納得したりしていた。人によっては、本当に場所は場所でしかないという場合があるのだけれど、私は本当に場所に対する思い入れが強いと思う。
これが血液型の話で片付けられている、というのもなんだか凄い話だけど。
私は、本当に場所に対して、本気で恋をしていると思う。
人に恋をするみたいな感覚が、場所に対して凄くある。
もっと言ってしまえば、風や木や花にだって本気で恋をする。
おかしいかしら?
私は、今回、ハワイ島へ行ってまさにハワイ島という場所に、恋をした。
この先、私が一生のうちで行ってみたかったいくつかの国全てに行く事が出来なくなろうとも、私はハワイ島に行きたいと思っている。
帰ってくる飛行機の中のあの感覚は、まさに大好きな人と別れた後の感じだった。
今まで、これは愛だったなあと思う、その他の場所は、東京だ。
これは、生まれた場所であるからかもしれないけれど、これはとても強烈だった。
さらに、東京の場合は、細かく具体的な場所に対して、恋があり愛があると思う。
それは、生まれた時からそうだったと思う。
幼い頃の、東京へのこだわりは、今よりもっと凄かった。
母の実家の鹿児島に行った時なんて、それが顕著に出て大変だった。その感覚をはっきり覚えている。
きっとそんな気持ちがなければ、鹿児島はとてもいい田舎であっただろうに・・
多分、私はきっとこの東京という場所を選んで生まれてきたのだろうと思う。
そのくせ、自然や動物が大好きだったのだから、矛盾しまくっていたのだけど・・・
勝手に、想像するならば、私の前世はとても自然に囲まれて育って、都会に憧れていたとか・・・(笑)
その他に強く惹かれた場所をあげてみると・・・それは、やっぱり沖縄。
そして、何と言っても、ニューヨークだ。
どうしようもなく大好きだった。
色々旅行しているわけじゃないからあれですが・・・金沢も思い出すとちょっとキュンとする。
だけど、あれほど執着のあった東京やニューヨークなどの都会、今でもとても愛しているけれど、
それらを上回るくらい、今はハワイ島なのだった。
何でしょうねえ。
ハワイ島を愛してしまったから、住みたくて仕方ない。
ただ、自分の快楽のためだけに住みたいというわけではなく、都会の喧噪から逃げたいというのとも違う。
あそこには、私の一番大切に思っている愛に溢れていて、それに関するすばらし事が溢れている。
学んで得る物も、確実に沢山ある。自分が心から気持ちがいいと感じる事が出来たら、それを愛する人たちに惜しみなく還元して行き、助けになるのではないだろうかという気がしてならない。これは、あくまでも強い直感としてそう思うと言うレベルの話だけれど。
大げさな事ではなくて、私の根本には、(常にまずは愛する人から出発するのだけれども)他人の力になりたいという事が常にある。だから、ハワイ島に住んで学びたいと思ったというのは、ごく自然な欲求なのだと思う。
人が苦しんでいる状態は、とても私にとって辛い事でもあるから、私はそれに全力で助けになる事をしていきたいと、常に考えて生きている。
さて。
そんな、遠〜い過去に、ぽろりとS君がもらしたその何気ない一言に、長い間、心から納得しつつ、
「本当に私って典型的なO型かもしれない〜」
と思っている私って、これまた、O型ならではの大ざっぱな単純さなのかも・・・
どうかしら?O型の皆様!
よい週末を!
Aloha,
Ryoco
追記:
東京に戻ってきて、電磁波に囲まれて生活しているせいか、
疲れて殆ど眠ってしまっています・・・
そして、すっかり忘れていた、肩こりと頭痛が復活していた。
恐るべし。
文明の奴隷にならないように、せめて、そう言う事には抗って生きていこう。
引き続き、旅の夢を見続けているわたしです、こんばんは。
今日の夢も凝りもせず旅の途中だったのだけど、弟も出てきたけど、その他に、二人の有名人が出てきた気がするのですが、ひとりは男性だっのだけど、起きたら忘れてしまった。
もうひとりは、よしもとばななさんだった。
薄いイエローに近い金色に光っていて、ふわっとしていて、もうとてもきれいで、鮮明に覚えている。
お話はしなかったけど、この金色にひかっているのは彼女だとはっきりわかった。
もし、人間に色だけの実体しかないとしたら、きっときれいな金色に光っているのだろうなあと思った。
テレビで、チュートリアルが西表島のなかで海にもぐったりジャングルに入ったりして食べ物を探すって言う番組を見た。(タカアンドトシは北海道)
あまりにも面白くて笑った。
そして、いいなあ〜と心から思った。とっても楽しんでいたから。
徳井さんが、海の中で東京に帰りたくないなあと言って夢中になっていたのが、本当に感動しているのだなあと思って、凄くよかった。とてもきれいな海だったなあ。
西表島のジャングルには、猛獣はいないのだろうか・・取り敢えず、ハワイ島にはハブとかそういう猛獣はいないそうだけど、西表のジャングルはいそうな雰囲気がムンムンしていた。。
その裏番組で、動物虐待を受けた動物を世話している施設を紹介していた。
本当に、酷すぎるその実態に、涙が溢れた。
本当に、許せない行為だと思った。
私の大学時代にも、そういう酷い虐待をしていた人がいたと聞いている。
そして、昔の母の同僚なんて、飼っていた猫ちゃんが、あまりにも酷いからここでは描写は避けるけど、もうそれはそれは酷い殺され方をしたのだった。
もう、本当にそんなやつは殺してもいいと本気で思ってしまった程、憎いと思った。死刑には反対だけど、一瞬、本気でそう思ってしまう程、残酷すぎる事だった。
犯人は捕まっていないようだ。
どんな状況であろうとも、他の生き物を傷つけていい筈がない。
そして、あの施設で精一杯動物たちに尽くしている女性は、本当に素晴らしい人だと思った。
世界中の人が、生き物たちが、歓喜して生きて行けるよう、
願ってやみません。
きっと、全ての生き物の魂は、例外なく、きれいに光っている事でしょう。
Aloha,
Ryoco
毎日のように、夢の中でハワイ島を歩いている私ですが、今朝の夢は少し違っていた。
明け方3時頃目が覚めたら、あまりにも外の騒音がうるさくて、その後、なかなか眠れなくなってしまった。
だって、真夜中に、マンション程の巨大なドリルみたいなものを、地面に差して穴を開けているんですよ!
その後、ようやく眠りについてみた夢で、私はもうかれこれ2年半くらい会う事が出来ていない大切な友人ミエの夢を見た。
多分、私は彼女と旅をしていた。かなり具体的にいろいろ面白い事があったように思うけど、車で移動していたような・・・ということと、そこの風景をうっすら思い出せる意外は、詳細が思い出せない。
そして、「一緒に旅をしている変な夢を見たよ」と、朝メールしてみたら、返事が来た。
彼女のかわいい子どもの写真も一緒に!
ずっとずっと、連絡もままならない事が多かったし、なかなか会えない状態が続いていたので、本当に本当に、心から嬉しかった。
彼女の子どもは、私の友人の中で一番最初にできた赤ちゃんだった。
だから、私にとってはもう本当に感動したできごとだったのだった。
そのYちゃんが・・・もう、もの凄くかわいくなっていてびっくりした。予想通りではあるけれど・・・
ママであるミエそのものだっていうくらい、そっくりに成長していた。
親子って、いいなあ。。
いやあ、本当にあたたかい気持ちになった。
ずっとずっと心配していたから、少しほっとした。
ハワイ島に関するブログの準備も少しずつ進めています。
ようやく、少しずつ東京に馴染んで(?)きて、というか、帰ってきてしまった自分が哀しくて、魂がハワイ島に戻りたがって仕方なかった状態から、いい意味で吹っ切れてきたと言うか、次の段階の入口が見えてきて、前進し始めたと言うか、とにかく、少しずつ色々とできるようになってきた。こうして、文章も書けるようになってきたし。
ようやく、お世話になった人たちに、メールを書く元気も出てきたし。
面白いなあと思ったのは、文章を書くのがとても困難だった中、ハワイ島へ行くきっかけとなった人のなかでも、もの凄くアロハの心のある、ハワイを愛してやまない人へメールをする事はむしろ率先して出来たという事。
そういう順番で、少しずつお礼のメールを書き終えた頃、ブログに取りかかろうと思っています。
写真の整理も少しずつしています。
今回のハワイ島へ行くことになった流れと、ハワイ島での出会いや経験を考えると、やはりこの度は行くべくしていたのだなあという事が、色々と見えてきて面白い。
私のやりたい事も、ここに来てはっきり見えてきた気がしています。
さて。
すっかり、風が冷たくなってきましたね。
旅の前から、風の吹く場所でお昼を食べるのを日課にしていましたが、ハワイ島から帰ってきてから、例え雨が降っていて中でお昼をとったとしても、なるべく風を感じるために一度は必ず屋外に出ようと思うようになった。
そう、身体が望んでいると言うか。
今日は少し肌寒いなあとか、日々のささやかな変化を、外を歩いて風に吹かれて、感じていたい。
東京の街で、暑いのに、一応秋になると突然マフラーをし始める人や、ブーツをはく人は、お洒落だなあと思って眺めるけれど、心には残らない。
だけど、本当に少し肌寒くなってきて、普通にシャツを着た男の子が、とりわけお洒落のためでもなく、薄手のマフラーを首に巻いて、夕暮れの中自転車に乗っているのを見ると、何故か、ジンと胸にきて、とてつもなく何気ない風景なのに、しっとりと色濃く心に残る。
そんな光景一つで、ちょっとだけせつなくて幸せな気持ちになる、そんな秋です。
ああ、本当にハワイ島から帰ってきて、色々と気づいて行く事があります。
一生、新しい発見がありつづけるなんて、昔は、思いもしなかった。
大人になるにつれ、感動が少なくなるのではないかと、とても恐怖に思った事もあった。老いる事に恐怖と絶望を感じていた時期は確かにあったかもしれない。
だけど、今は違うのだ。
毎日毎日、違う感動があって、その気になれば新しい発見は、絶える事がないのだ。
それは、なんて素晴しいのだろうと思う。
それは、本当に自由であるということではないだろうか。
自由は、本人の気持ち次第で、いますぐにでも手に入れられるものだと思う。
喜びのある毎日を!
Aloha,
Ryoco
追記(食):
通りがかって気になっていた、新しいお店は、お豆腐屋さんだった。
桜の葉がのっているお豆腐には、黒蜜が付いていて、とっても美味しかった!
何と言っても、店員のお姉さんが、とてもきれいな目をしていて、食べる前から、この人が作っているならきっと美味しいに違いないと思わせた。
追記2(食):
鹿児島の、麦味噌が大好きなのだけど、それで漬けた大根の漬け物が、めちゃくちゃ美味しい。
毎日、ポリポリ音をたてて食べています。
追記3:
週末は、会わなきゃと言う強い想いに押されていたせいか、大好きな人たちに一気に会えるのが、嬉しい。
めずらしく、忙しいけど、嬉しくなりそうな週末だ。
追記4:
いよいよ、バイトでもしないといけない危機かしら?!
お金ってシビアな現実・・・
こんにちは。
みなさんお元気ですか?
すっかり、更新が滞っていてごめんなさい。
私は、今まで時差ぼけというものを感じたことがないのですが、今回は時差ぼけと呼んでいいのかわからないけど、そうとう東京に復帰できていない感じで大変で。
毎日のように、自然の中にいる夢を見る。
植物たちに囲まれて、海があって、風が吹いている。
虹が沢山出てくる夢も見た。
目覚めると、暫く本気でハワイ島にいると信じている瞬間がある。
カーテンを開けると、向こうにはハワイ島の朝が待っていると本当に思ってしまうのだ。
そして、「ああ、ここは東京だった」と思うと、とても残念に思うのだ。
これはなんだか、凄いなあと、毎日思う。
これほど、強烈に私の魂を捉え続けて話さないでいるなんて。
時差ぼけというより、この幸せなのに苦しいくらいせつない感じは、恋に似ている。
そんな中、復帰リハビリがしたいわけじゃないけど、どうも寂しくて仕方なくて、友人たちに連絡をとる。
取り敢えず、ここでの生活は、そんな私の状態に反して、毎日始まっては終わっているのだから、
私もいつまでもハワイ島へ戻りたいなどと言ってばかりいられない。
一番最初に会うことになったのは、高校時代の友人、ちーちゃんであった。
1才を過ぎたかわいい息子ちゃんも一緒。
ちーちゃんは、ずーっとマルイチに行きたいと言っていたので、電車に乗って代々木上原まで初子連れ遠征。
マルイチへ行くことは、私にとっても励ましになるので嬉しかった。(どんだけ、へこんでいるんだか!)
Mieも誘ったら、ちょうど連絡をしようと思ってくれていたそうで、久々に3人でゆっくりお散歩できて楽しい時間になった。(私とMieは、ハワイ島で買ってきたCROCS を履いてね)
マルイチへは、昼頃行ったので、3連休のど真ん中とあって、しっかり並んでいたけれど、ベーグルはどんどん焼き上がっていて、素晴らしく嬉しかった。
マルイチのお姉さんたちと会うと、本当にほっとする。私が日本にいて、励まされる瞬間が、ここには確かにある。
ついつい、ふたつもサンドしてもらって、食べれるのか!と思ったけど、後に続くちーちゃんとMieもハーフにまでしてもらってしっかり2つサンドしてもらっていた。
歩いていると、街中に金木犀の香りがたちこめていて、ああ、もうそんな季節になっていたのだなあとしみじみした。
金木犀のたちこめる季節、Makiとお別れした。
恋もあった。
この香りのたちこめる季節、いろいろ始まっては終わって、その想いたちは、そっと胸の奥に沈んでいった。
薄い葉が一枚一枚重なりあうように、記憶が積もっていき、
金木犀の香りが、それらの輪郭をやわらかく溶かす。
記憶の具体性は、いつの間にか曖昧になり、ディテールだけが香りとともに残っていく。
それは、時間の感覚さえも溶かすから、
そのうっすら感じるせつない記憶が、
いつのものだったのか、遥か昔からそこにあったのか、今日初めて感じたのか、
あるいは、その全てにおいて溶け合っているように感じる。
「金木犀のいい香り」
と、何度も深く呼吸をしつつ、なんとなく疲れてしまったのは、
その溶け合った記憶が私の身体の奥から記憶を呼び覚まそうとしたからだろう。
代々木公園で、3人でお喋りをしながら、周りを見渡すと、
それぞれの休日の、きらきらした喜びが眩しかった。
夜は、何故かパークハイアットへ。
あのハワイ島から帰ってきて、いきなり大都会のビルの上層部に行くとは思っていなかった。
ベーグルを沢山食べてお腹がいっぱいなのに、美味しい和食は別腹だった。
両親の人生の節目の、静かなお祝いの席。
普段はこんな場所で食事をしない不慣れな私たちを、とってもキュートな笑顔でもてなしてくれ、
楽しい席へと導いてくれた給仕の方には、
ここがアメリカならチップを弾んでもいいくらい素晴らしかった。
ハワイ島で、感動したことのひとつに、働く人たちが、心から楽しんでいて、
素晴らしい笑顔と心で接してきてくれたことがある。
それは、チップのためだけではない、もっと根本的な違いがあった。
日本でも、時々そんなハワイ島で出会ったような素晴らしい笑顔と同じ種類の笑顔に会うことがある。
マルイチもそのひとつであるけれど、そんなとき、とても感動して、幸せな気持ちになる。
夜空に浮かんでいるようなプールや、
静かで心地のいい薄暗さの中に、光の海となって広がる東京の街は、
もう本当に別世界だった。
あまりの心地よさに、私も泊まりたいくらいだったけど、
そんな贅沢は私には一生必要ないなあとも思った。
自分の部屋に帰ってくると、まさに全てが夢のような気がした。
Mahalo,
Ryoco
追記1
※ハワイ島の事も、少しずつ書きたいのだけど、まだ心がついて行けなくて。
少しずつ準備をしているので、気長にお待ちを。
写真の整理が、デジカメじゃない写真が多いだけに、結構大変。
追記2
※デジカメが壊れたのは先日書いたけど、やっぱり欲しいなあと思う。
やっぱり、記録以上の素晴らしさがあるものね。
ベーグルの写真だって撮りたいし。
だけど、実際に買おうと思うと、どれにしたらいいのか迷ってしまって、頭が痛い。
(お金もないけど!)
買ったばかりのメモリースティックが勿体ないから、やっぱりSONYかしら・・・とも
思うけど、28ミリくらいの広角レンズが使える他メーカーのも気になる。
う〜〜ん。
おひさしぶりです。
こんにちは。
とは言え、まだ一週間とちょっとしか経ってないのですよね。
昨日、ハワイ島から、戻ってきました。
ハワイ島で感じた全てが、私の全てに絡み合って、目を瞑ればジャングルの中にいる気がします。
行ってみないと、決してわからなかったこの感覚が今でも私を感動させ続けています。
カメラ関係は、トラブル続きで(デジカメに関しては、なんと滑って転んで海に浸けてしまった)、いい写真は殆ど残っていません。
だけど、全身で感じたあのむき出しの色々な顔をした大地と、巨大な植物や木々、動物や鳥たちのジャングル、逞しく透明な海、穏やかな水面、力強い波、美しい海で自由に遊びお喋りしているイルカたち、それら全て、目を瞑ればいつでも蘇ってくる。
そこへ行くまで、いくら想像しても及ばなかった世界だった。
神様どうか。
旅の後半に入り浸ったジャングルの、あの生き物たちの迫りくる感覚が
私の中から抜け落ちませんように。
そう願ってやまない。
あの風景と、そこに確かにあったエネルギーを、決して忘れないでいよう。
そう強く決意しながら帰ってきた。
帰りの飛行機の中、何度もあのジャングルに戻った。
何度もあの溶岩の上に戻ってみた。
何度も海の中に戻ってみた。
ヒロの町に戻ってみた。
戻るたびに何度でも感動して、
涙があふれた。
ホノルルから出発した日本行きの便には、
着飾ってブランドの買い物を沢山した人たちや、
ゴルフだけを楽しみにいっていたおじさんたちであふれていたけれど、
私の両脇に座っていたのは、それぞれ女性で一人だったから、
静かにハワイ島へ想いを馳せながら帰ってこれた。
池澤夏樹さんの、「ハワイイ紀行」の全てのページが、行く前とは全く違った感動となって迫ってきた。
本当に、この本は涙が出るほど素晴らしい本だと思った。
日本の上空に来たときに、
なぜ私はここに戻らなくてはいけないのだろう?
なぜだろう?なぜだろう?
と、何度も反芻した。
本当に、再び目にした見慣れた大地に、ほっとしている気持ちもある中、
深い哀しみとともに、不思議に思ったのだ。
その深まる疑問の中、
確かにこの日本も愛してやまない私の生まれた島なのだと思った。
沢山の絶望を感じながらも、愛しているのだと思った。
あの島で感じたものを、写真で伝えることは殆ど不可能となってしまったので、
私のできる範囲で、言葉で綴って行けたらと思っています。
今は胸がいっぱいでどこから書き出したものかと思ってるけど。
タグは、hawaiiにしようと思っています。
ひとまず、昨夜は、眠さに瞼がくっつきそうになりながら、
家族とごはんをたべた。
妹の誕生日のケーキも食べた。
電気を消してろうそくの火を灯して弟家族にカメラを向けたら、
なんと!姪のはっちゃんは、自分の1歳の誕生日を覚えていたらしく、
ものすご~く嬉しそうにの人差し指を元気に上げて、「1歳」アピールしていた。
春の1歳の誕生日がよっぽど嬉しかったのだろう。
家族全員でビックリ!
そのかわいさに大爆笑した。
はっちゃんは、私がお土産に買ってきたcrocsのサンダルがいたく気に入ったらしく、
何度も自力で履いたり脱いだり、歩いたり、手にはいて這って見せたりして遊んでいた。
こんなに喜んでくれるとは正直思わなかった。
時々、はっちゃんは本当に1歳なのか不思議になるくらい。
そう言えば、ものを口に入れるという赤ちゃん特有の癖も全くなかったし、よだれも殆どたらさなかった。
とにかく、元気な家族の笑顔にあえて嬉しかった。
正直、お仕事には復帰したくないけれど、友達には早く会いたい。
私が日本が好きなのは、家族や友達や偉大な人たちなども含めて、愛する人たちの存在、音楽、芸術
そういったものなのだろうなと思う。
旅というものの本質を思い出すことができて嬉しかった。
旅に大切なのは、いい写真を撮ることでも、いい買い物をすることでも、
できるだけ多くの観光地を巡ることでもないということ。
私のしたい旅の基本を再確認でき、自由な旅ができて(一人で歩いた後半は特に)よかった。
素晴らしい出会いもあった。
トラブルも少しばかりあったけれど、それも含めて素晴らしかった。
Aloha
Mahalo
Ryoco